4/22のしゅちょう 文は田島薫
(友だち、について)
ことあるごとにバイクやらギターやら酒宴やら恋愛相談やらで、30年ぐらいつき合
いのあった私の友だちのひとりが3日ほど前に死んだ。
一時私の事務所の近所に彼の事務所があったこともありひんぱんに会ってたりもし
てたんだけど、私の事務所がさいたまに引越したあたりから10年ぐらい入退院をく
りかえしてて、身体的にはずいぶん苦しい思いをし続けてたはずなんだけど、その
間も長いメールや電話のやり取りはけっこうしあったし、年に何度かは集まってバ
ンドごっこをやったりもして、その度ジョークのように闘病の苦労を言ったり、ほ
んとにジョークも大好きでいっしょに笑ったりしてたんで、いつか全快することを
期待してたし、私の友だちの中では会う頻度は多い方だった。
私が友だちと感じてる相手の中にはもう10年、20年お互いに連絡し合わないのもい
て、ツイッターやラインのようなもんで毎日連絡しあってるのが友だちだと思って
る若者なんかには信じれないかもしれないんだけど、それも友だちなのだ。
じゃ私の思ってる、友だち、ってなんなんだろう、って考えてみると、多分、お互
いの弱点を認めあってる、ってことが基本なのかもしれない。
自分の素直な感情を正直に吐露して、万一それを笑われたとしても、それを受け入
れることができるし、心地いいぐらいのリラックスを持続できる関係。
それにはどっか相手の考え方感じ方に信頼と共感が必要だろうけど、それが全く自
分と同じである必要はなくて、違いを好意を持って認め合えたらいいのだ多分。
しかし、自分と違うそれを、あ〜この人はそう〜いうことを信じてしまってるんだ
な〜、って感じられたらだれとでも友だちになれるか、っていえば、それが無理な
のは、友だち、ってもんは一緒にいて心地いいもんのはずだからだ。
会ったりコミュニケーションするたびに頭ごなしに馬鹿にされたり、腹の立つこと
ばかりしゃべられたり、話しの内容に全く興味を持てなかったりしたら、一緒にい
ることは不愉快で避けることになるだろうし。
ところが、そういった一見不愉快で会うたび喧嘩してるような関係でも、どっか会
うのがいやじゃなかったら、それは友だちもしくは恋人になる可能性があるのかも
しれないのだから、人間関係って、けっこうおもしろい。
だから、そういった好奇心でフェイスブックなんかの友だちリクエストが盛んなの
かも。しかし、量から質へ転換できる、ってだれかが言ってたけど、どこを共感し
てるのかわからない人と表面上の友だち、ってことにしてただどんどんその人数増
やすことはいいことなのかどうかはまだ私には疑問なのだ。