2/12のしゅちょう
            文は田島薫

(所有幻想、について


自分の思う通りに動かない自分の娘をしつけ、として厳しくせっかんし結果殺して

しまった父親が逮捕されたんだけど、自分は間違ったことをしたとは思ってない、

って言った。正しく教育をしてあげようとしてたのに、全く言うことを聞かなかっ

た子供の方が悪かったんだ、って言いたいのかもしれない。

温厚そうな表情をした常識をわきまえてそうに見える男が、なんでこんなことをし

てしまうんだろう、って大部分の人々は不思議に感じるはずなんだけど、多分、こ

ういったことで、子供が死んでしまう、ってまで行かないような例だったら、相当

な数がありうるんではないかと私は思うのだ。

なぜなら、自分の正義を信じてて、それに反対するような相手がいた時に、感情を

制御できなくなる傾向の人をふだんでもけっこう見かけることがあるからだ。

知識人と言われる人でも、テレビなんかのちょっとした討論でそういった反応を示

す人がいるくらいだし、特にわが国のように、ふだんは和を重んじ人と争わないの

が美徳、ってがんばってる人のタガが外れた時に収集がつかない、ってような。

それが、一般社会での利益関係であれば、上部の人に逆らわないことを割にスムー

ズにできてて、さほど問題が起きる率は大きくないのかもしれないんだけど、これ

が家庭内のことになると、家族同士の甘え合いの意識も当然起き勝ちで、それをお

互いさまのことだ、って尊重しあえれば問題はないんだけど、中のだれかが専制君

主のように、自分が一番正しい、って思い込んでその考えのあれこれを他の家族に

一方的に押し付けるばかりになれば問題なのだ。

それが動物的な野放し状態で起きれば、腕力の強い者がそうでないものを仕切る権

利を持つことになるわけで、そうなると、父親がそれを自認する場合はすごく安易

にやれる確率が上がるわけで、その父親が外の社会でどんなに屈辱的な扱いを受け

てたとしても、家庭では自分が大将、ってことならば気分もいいだろうし。

で、自分のそんな立場を自分の能力と勘違いしてしまうことも多々起きるわけで、

他の家族は父親の考えを尊重し逆らってはいけないのだ、自分は家族の中で一番身

分が高いのだから、って気になる。

しまいに、家族は自分の思いのままになる所有物だ、って気にもなれば、なんとし

てでも間違いの矯正を、ってことになり、それでも逆らう物だったらばいらない、

って気にもなるんだろう。

それとは逆のような例でも、家族を先導して行く力が親としての自分にない、って

自覚した時に今後の家族の行く末を心配して無理心中しちゃう、とか。

これらはけっきょく全部、自己中心主義の所有幻想による勘違いの業なのだ。


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