12/30のしゅちょう
            文は田島薫

(非凡、ってことについて)


一般的に人がだれかの業績などを評価するのに、非凡な人だ、って言う場合、

才能や能力が並はずれて優れてる、って意味になるんで、平凡、って言われる

場合は人並、ってことになるんだけど、この簡単な評価の言葉は実は認識に難

しいところがあって、だれでもがそれでわかったつもりになってても、大事な

部分を見落としてることがよくあるのだ。

簡単な例で言えば、テクニックにすぐれたプロのミュージシャンは、趣味でた

まにしか練習しないミュージシャンと演奏比べした場合、やっぱりプロは凄い、

って一般の人々から見たら、当然非凡だ、ってことになるんだけど、その非凡

さの要素の大部分が血の滲むような長い練習で培われた演奏技術そのものによ

ることが多いのだ。

特にクラッシクの分野などでは世界じゅうにそういう演奏家をめざす人々がい

てコンクールなどで入賞するのは大変なようで、素人の私が聞いてもさほどの

差は感じない人々がどんどん落選して行くわけで、その時の評価の基準は多分、

技術に申し分ないことを前提にした後の感性的ニュアンス、といった素人には

聞き分けの難しいかもしれないプラスアルファーがいるんだろう。

だから、そういう世界にいる人々の間では、素人がびっくりするほどの見事な

演奏を目の前で聞かせたとしても、平凡な、って言われることもあるのだ。

一方、ロックなどの分野の音楽となると、その技術的評価よりも、だれにでも

わかりやすいような、感性的なインパクトや共感が優先されることが多くて、

楽器を持って数週間で曲を作りヒットさせたロックバンドもいるぐらいなのだ。

やはり、ロックなどはクラシックと違って、今まで聞いたことがないような、

音の構成をすることがしやすい、ってこともあり差別化が容易なのだ。

じゃ、ロックなら、だれがやってもヒット曲などを簡単に作り出すことができ

るかといえば、そうはいかないわけで、コンスタントにヒット曲を作れるのは

やっぱり非凡な力がいるのだし、そのヒット、って言うもの自体もそれを運営

する業界の販売促進によって人々が誘導されてる部分もあるから、ヒット曲な

らすべて名曲というわけじゃないし、さほど売れない曲でも名曲はたくさんあ

るわけで、それを評価する人々の好みや層によって判断も変わって行くものだ

から、絶対的な価値判断、ってものは多分だれにもできないのだ。

だから、非凡、ってことを追求するんであれば、多くの人々がやってる同じこ

とをやらないで、自分の感性を信じてやり続けるるのがいいのだ。

大芸術家の多くは生存中に、なんてひどい作品を作ってるんだ、って言われた

もんなのだから。と言うわけで、アマチュア芸術家に幸あれ。


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