●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
日本文化の特長についての話。


切り取る


俳句の仲間に神主さんがいる。

神主はほとんど世襲制で、しかも神社の格付けというものが歴然としているそうな。

さらに、いまや神道は下火になる一方なので、氏子の寄進だけではやっていけず、

幼稚園経営をしたり、境内で参拝客に有料の茶菓子を提供したり、と神社の懐事情

はかなり苦しいという。

周りで聞いていた皆はほ〜といった顔だ。

そのうち口々に神社のイメージを話した。清らかで荘厳な雰囲気とか、宮司という

ものはちょっととっつきにくいとか、お寺にはない大木や砂利道の佇まいに奥まっ

たお堂が霊気に満ちているとか。すると、

「いやいや、本来神道にはお堂は存在しません」

と神主さんがいったのでびっくり。

神道は本来自然崇拝で、もともと聖なる景色のところにただ棒を二本立てて、間に

しめ縄を張って拝んだのだという。

縄が横木となり鳥居の形になったのは飛鳥時代。そして渡来した仏教の影響で社殿

を建てるようになったのだそうだ。

「神さまと仏さまが共存するなんて日本ぐらいなもんですね」

誰かがいうと、

「そのわけは、日本は切り取る文化だから。つまりいいとこ取りです」

と神主さんはいう。

日本人は自然の中にある霊力すべてを、我が物にすることはできないことを知って

いて、ここぞと思う部分を切り取って聖なるものに近づく、そんな文化が育ったの

だという。

鳥居のフレーム越しに聖なるものと対峙し、それだけで、霊力に触れることができ

るのである。

さらに神主さんは力を込める。

「俳句だって、切り取りです。その場の情景や気持ちを五七五で切り取って完結さ

せるわけです」

さすが神主さん、うまくまとめるものだ。


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