●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが心打たれた元大学教授の手記の概略をご紹介。


青春を返せ

(F氏の戦争体験記)


私は90才になった。すっかり老いてしまった。

今こそ、私の戦争体験を語らなければならない。それは使命であろう。

私は、昭和11年の二・二六事件、昭和12年の盧溝橋事件から始まった日中戦争、そし

て昭和16年以後の太平洋戦争とすべてを体験したのである。

つまり、私の小学生、中学生の時代はずっと戦争だった。

小学、中学と言えば学校教育や社会環境からさまざまな影響を受けて成長する大事な

人間形成期。

夢をふくらませ希望に満ちた輝かしい時代であるはずなのに・・・

人間を信じ、自分の道を見つけ邁進すべき時期なのに・・・

だが、残念なことにまったく逆の暗い不自由な忍耐の時代だった。

昭和11年2月26日、深夜から降り始めた大雪の朝のこと。

私たちが長靴履いて登校する途中、小学校の校長がやってきて、すぐに帰宅して家か

ら外へ出ないように、と指示をした。家に帰ると家族全員がラジオの前に集まってい

た。何か恐ろしい大変なことが起こったのだと幼い私にもわかった。

7才だった。

この日から3日間続いたクーデターが軍部独裁による政治支配の始まりとなり、暗黒

社会を生み出すこととなる。

中国へ侵略した日中戦争、さらには太平洋戦争へとつながり、やがて帝国主義日本は

破滅した。

その間ずっと戦争体制。戦争とは非常事態なのである。

やりたいこと、欲しいもの、すべて耐え忍ぶ生活だった。

さらにその間の教育たるやひどいものだった。

天皇制絶対の「皇道主義」にもとづく軍国主義、愛国主義教育で、小学生、中学生は

強い兵士の予備軍としてみなされ、「配属将校」と呼ばれる軍人によって戦場で役立

つ厳しい軍事訓練がなされた。学業なんてあったものではない。

今の若い人たちには想像もつかないことだろう。

私の青春は、小銃、機関銃、手りゅう弾など人を殺す訓練に費やされたのだ。

昭和20年3月10日未明の東京大空襲は一夜で10万人を超える多くの死者を出し、夏に

は広島、長崎に原爆を落とされてようやく戦争は終結した。

その時代に生まれたことが不運とか悲劇といって済ましていいのだろうか・・・

戦争は、人間の命と生活を根底から破壊し、勝者と敗者の間の憎悪は人間性を踏みに

じる。

ここで私は声を大にして叫びたい。

戦争は、その理由の如何にかかわらず絶対に避けねばならない。

私は平和のために憲法九条を守りたい。


(私の夫の知人、F氏の所属する『港北九条の会』ニュースよりF氏の手記をまとめる)


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