●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが、悪名の多い嫌われ勝ちな花を弁護。


ドクダミの花


昔は、美しい女性を「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿は百合の花」などと

花に例えた。

時代は変わり、いまや女性も逞しさが求められるようにはなったけれど、やはりいつ

までも花でありたい。

おばさんに、「花に例えたら何?」と聞けば、

「そうねえ、ドクダミかな…ガハハハッ」となる。

“ドクダミ”という言葉のおどろおどろした語感ながら妙に歯切れの良さ。雑草と嫌

われる反面、煎じれば薬にもなるという裏表の使い分け。

なんだか酸いも甘いも噛み分けた逞しいおばさんにぴったりだ。(?)

それに背の低いドクダミはどんなに踏まれても枯れることがない。茎を四方八方には

わせ、その繁殖力たるやすごい。

ちょっと庭の手入れを油断すると雑草としてたちまちはびこってしまう。

おまけにむしっていると強烈な匂いが後々まで残り閉口するのだ。

さて、この時期そのドクダミの花が盛りを迎えている。

ご近所には、手におえず開き直ったのか、自然にまかせ庭の一角をドクダミ化させて

いる家がある。

それはそれで白い花の群生として美しいものだ。

ご存知のように、ドクダミの花は名前とは裏腹に白い十字の花に浅黄色の芯をチョン

とのせ、とても可憐なのだ。

そのシンプルな愛らしさは、踏まれて千切られたことのある苦労など感じさせない一

途な清らかさがある。

そういえば、人の世だって、順風なんてめったにない。

人間も踏まれてむしられて、ようやく花が咲くのだ。

昨今の不運続きの日本、「踏まれても」という言葉は応援歌なのかもしれない。


どくだみの十字の花はうつむかず     (もどき)


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