4/9のしゅちょう 文は田島薫
(人と繋がること、について 2)
ネットで「ほぼ日刊イトイ新聞」ってのを創刊の時から愛読させてもらってるんだけど、
中でも山田ズーニー先生の「おとなの小論文教室」にはいつも共感したり感心したり。
先日も、先生自身の気持の逃げ場を探す不遇時代の話に、なるほど、と共感したもんで、
それの要旨紹介から。
新しい人間関係で心が疲れたり新しい職場にもなじめずツラクなったりした時に、人は
いろんな逃げ場があるようだけど、自分はそれが図書館だ、って。最初大学を卒業して
就職にあぶれ、親や友だちに合わせる顔がなくうちにいても焦りがつのり気が休まらな
いもんで、無料で長時間いても追い出されない図書館に逃避した、と。そこではいろん
な人が自分の興味や解きたい謎に向かって黙々と本を読んでいて、その空気にひたって
うるうちに自然に背中を押され元気になった、と。先日も人との関係に落ち込み、図書
館に逃げ込み5時間飲まず食わずで1册の本を一気に読み通したら、読後クラクラとめま
いがして、じーんと感動がひろがった、って。忙しい日常では人と顔を合わせ言葉をつ
くしても心底触れ合えるのはまれで、すれ違いだってあるんだけど、本は何時間でも、
心行くまで著者と言う人間と心底触れ合える、と。
ま、これは一般的にも古今東西の人が言ってるようなことなんだけど、先生の実体験か
らくる適確な表現技術でしみじみ共感させられるのだ。興味のある方はサイトへ。
私も若い時には人との触れ合いを求めて、誘われればどこへでも喜んで出かけた時期が
あったんだけど、私自身の甘えや酒に負ける体質などで、毎度空しい成果に終わること
を続けた果てに、あまりそういった関わりに興味を持ちにくい傾向になってたもんで、
なおさら、ズーニー先生の図書館論に共感したようだ。
けっきょく、日常の実生活で自分の興味を追求した場合、周囲の狭い人間関係から同好
の友人のようなものを見つける難しさより、万巻の書物からそれを見つける方が容易だ、
って言えるからなんだろう。
実生活で、人間関係の絆が強まるのは、どうも、ひとつの目的を共有した時のようだ。
多分、お互いが偉人たちのような完成度を求めるのは不必要と認めあい、それぞれが未
熟者で異質なんだけど、なにか共感できる接点を持てたら、それは宇宙的奇蹟かも、っ
て考えて、人との出会いを受け入れるのがしあわせなことなのかもしれない。