2/19の日記          文は田島薫



ピョンチャンオリンピックウィーク


先週は割合多くの時間を使って、女子アイスホッケー、女子カーリング、女子ス

ピードスケート、フィギュアスケート、ジャンプ、フリースタイルスキー、フリ

ースタイルスノボーなどを断続的や継続的に一貫性もなく行き当たりばったり風

に鑑賞して、勝敗をぬきにしても、私自身の身体能力と比較しつつ(比較するん

じゃないっ)極限まで開発された人の身体運動能力に感心した。

オリンピックの決勝に残るアスリートはだれもが世界一流なわけで、われわれ一

般人は、金メダル取ってください、なんて気楽に言っちゃって申し訳ない、って

いつも感じるわけで、メダル、それは目的じゃなくてさまざまな練習成果や計画

されてたとしてもその時の心身のコンデションなどの単なる結果なのだし。

メダルはそのアスリートの十全に発揮された能力の優秀さの証明として賛美して

いいし、もし入賞を外れたとしても、能力が低い、とは言えないわけで。

その他、夜、オリンピックの合間に、家人が借りて来てたDVDで詩人エミリー・

ディキンソンの伝記的な映画を観た。宗教や日常生活でも常識的な考え方に従わ

ず、あくまで自分の信じる自由な観念をつらぬく姿は芸術家の本質なのだ。しか

し、もぐもぐと詩が時々語られるテンポのを観てるうちにどんどん眠くなりふた

りで寝てしまったもんで、翌日また最初から観なおしたのだった。

もう1本は、「ぐるりのこと」、もう10年以上前の気になってた作品で、たまた

ま先日ネットでおすぎだったかぴーこだったかが当時絶賛してたらしいことを知

り私が借りたのだ。神経症になった妻とそれにつきあう夫の発症から回復までの

経緯をたどった、ごくあたりまえのことに気づくことによってあたりまえの日常

を取り戻す、ってだけのなんでもない話とも言えるし、それにはじめて気づいた

人にとっては目からうろこ、ってことなのかも。しかし、こっちもどんどん眠く

なり日曜の午後、それの残り半分をやっつけてから、家人と最寄り駅の方へ返却

に向かい、途中図書館にも寄り、家人がひなあられとさくらもちを買って帰宅。

前日私がアコスティックギター弾いてた時に、家人からのリクエストがあり、そ

れを実行するため、食前酒の乾杯前にばたばたとベースとギターとボーカルマイ

クをアンプにつないで家人とシナモンガール演奏。


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