2/19のしゅちょう
            文は田島薫

(人間の器、について


よく、人の器が大きい、とか、小さい、とか世間で人の人格の評価をする時、それの大き

い方の有り様は、まあ、態度が堂々としていて、他からの批判や反対などもどんと受け止

めだれかの失敗や逆境にも全くめげず、対象案件やら相手の立場を充分理解し、いつも物

事を公平に観て大事なことを瞬時に見極め適確に裁断し行動をする、ってようなことだと

したら、小さい方は、それと逆の態度になるだろう。

私もそうだけど、世間一般の人々はどっちかって言えば、日々、些細な物事にびっくりし

たり心配したり激怒したりしてるわけだから、小さい方のがリアリティがあるのかも。

とは言うものの、たとえば政治の世界の国際関係でも国のトップがそういった庶民的な器

の小さい反応ばかりしてたら、世界の平和にとって非常に不安定なものになるだろう。

で、このほどの北朝鮮の韓国との融和的オリンピック参加表明について、韓国のムン大統

領の柔軟姿勢とくらべ、北朝鮮の和平的に見える姿勢にだまされてはいけない、って言う

わが国の安倍首相の態度はどうだろう。

北朝鮮を悪と決めつけ、経済圧力などで最大限まで締めつける、ってことが一番いい、っ

て言ってる考え方、米国やイスラエルは核兵器持っててもかまわないけど、北朝鮮は危

険な国だから絶対それを許さない、って強硬政策一筋の人物は器が大きいのかどうか。

北朝鮮の非核化、ってことだけを考えて、それが簡単に実現するんであればそれもいいと

言えるのかもしれないんだけど、今それは、北朝鮮の立場ではほぼ不可能に近い現実があ

ることを無視した日米側の自己中心的発想からの要求なのだ。

何度もここで言ってることだけど、米国は歴史的にへ理屈をつけた正義をかざしては他国

を軍事攻撃するいわば前科者なのだ。北朝鮮も米国をそういう悪者と見てるわけだし、核

兵器はそれからのいわば侵略を防ぐ文字通りの抑止力なのだから。

北朝鮮にとって核兵器はそういうものだとしても、米国にとっては、先日のトランプ大統

領の宣言にもあるように、先制攻撃の道具にもなりうるのだから、よけい北朝鮮はプライ

ドや命にかけてもそれを手放すわけにはいかないはずなのだし、万一米国の安易な先制攻

撃でもあれば、核兵器の反撃は現実化してしまうわけで、今の日米の器の小さい態度は非

常に危険な状況を増大させてて、目的の平和を忘れた本末転倒なのだ。

安倍首相には、北朝鮮にだまされるな、っていきりたってるんじゃなく、今は器の大きい

ムン大統領に習って、だまされてみよう、ってぐらいの度量が必要な時なのだ。


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