12/25のしゅちょう
            文は田島薫

(沢木耕太郎さんのアンテナ、について


きのうの夜仮眠して目覚めたきょうの午前2時過ぎにラジオつけてみたら、作家の沢

木耕太郎さんがしゃべってて、どうやら年1度クリスマスにだけやる特別番組だった

ようなんだけど、そういえば去年もそれを一部の時間だけ聴いたことがあったことを

思い出しながら聴いてたら3時には終わってしまった。

どうも、すでに午前0時からやってたようなんで、調べたらインターネットでもう一

度聴けるらしいんで今聴いてるところなんだけど、世界各地へ旅をしてエッセー書い

たりするのを得意としてるとしても、日常的ななにげないようなエピソードをこれほ

どまで興味深く聴かせる魅力はどっから来るんだろう、って考えてみた。

各種ノンフィクションや文学の賞を受賞してる作家としての感受性や表現力、って言

って、おしまい、でもいいんだけど、それにプラス絶えない若々しい好奇心、ってこ

ともあるようだし、実際彼の印象は実年齢よりずっと若い。

1年前のラジオで、時計のベルトが切れてそれをビニールテープかなにかでつないで

使ってる、ってようなびんぼーくさい話が、私にはすごく共感できて、そういった一

般常識的には笑われちゃいそうなことを気にしない、と言うかそれで問題ない、って

姿勢からくる物事の見方が、全部、私にはすっと受け入れやすい感じなのだ。それだ

と多分、どこの国へ行ってもそこのふつうの人々と同じ目線でつきあえるだろうし、

ブランドの高級品好き、ってような人々の世界よりも、多分こっちのつつましい人々

の世界の方がより広い世界標準の見方だろう。

で、昨日のその番組の後半過ぎを聴いてた時、ノーベル賞を取った本庶佑さんのこと

が出て、テレビなどで沢木さんもインタビューを観てたら、そういった基礎研究に必

要なのは、「好奇心と無駄と運」だ、って言葉に共感したんだ、って。

好奇心が原動力で実を結ぶかどうかわからない無駄の連続を続けた果てに、最後には

運がいる、って、沢木さんも仕事で全く同じように感じてたそうで。沢木さんにとっ

ての運は、自分を認めてくれる編集者と巡り遭った、ってようなことだ、って。

私も国民のほとんどと同じように本庶さんのインタビューは聴いてたはずなのに、沢

木さんのようには、確かな何かを明瞭には受信できてなかったみたいだ。


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