11/5のしゅちょう
            文は田島薫

(戦場ジャーナリストへの敬意、について


フリーのジャーナリストが紛争中のシリアに入り反政府グループのだれかに拉致され、

3年半ばかり自由を奪われた後解放されたんだけど、それには政府が身代金を支払った、

ってことが憶測され、それについて当のジャーナリストからの政府からの救援は望むと

ころじゃなかった、って発言や、計画の無謀さなどへの批判があるようだ。

批判する庶民の感覚としては、億単位の税金を使われた、ってことで、こういった状況

で金を払って命を助けることについては仕方ないとしても、その金が武力勢力の資金源

になると紛争に手を貸してることになる、ってもっともらしい理由と、だから最初から

そんな危険なところへ行くな、って政府が言ってるんだから行かなけりゃよかったんだ、

だから、国民や政府に心からの謝罪とお礼をし示すべきだ、ってとこなんだろう。

一方、ジャーナリストたちの大部分からは同情の意見が多いようで、世界の平和のため

には現状を正確に報道する必要があるのだから、危険地帯であっても行くことがジャー

ナリストの使命だ、って原則で、それでももっと安全に考慮した綿密な計画の基で行く

べきだ、ってような意見もあるようだけど、実際に戦場に行くこともあるジャーナリス

トがそう言うんであればそれは現実的なもんなんだろう。

それと同じことを、平和な国内でしか生活してない一般庶民でも、だれもが言えそうな

ことなのかもしれないけど、多分実態認識の薄い説得力の弱いものになるだろう。

問題は、そうやって命をかけて行動してるジャーナリストを、庶民が気楽に批判しちゃ

いかんだろう、ってことなのだ。

世界じゅうで起きてる戦闘や紛争についてはロシアや米国のそれぞれの思惑やら、利権

軍事企業などの絡みが状況を複雑にしていて、人的被害を受けたそれぞれの側が軍事行

動を起こしそれへの武器売買などが永久運動のようにされてたら、紛争はどこまで続く

かわからないし、どっちか強大な力を発揮した側が制圧した時点では多分、破壊の限り

がつくされてて、幾百億幾千億儲かるのは軍事企業だけで、庶民は幾十万幾百万の命が

犠牲にされているのだ。

世界の現状の実際を伝えようと活動するジャーナリストの身代金がたとえ数十億円かか

ったとしても、それが現場の現状なのだし、それがたとえ反政府勢力の生活費や武器に

変わったとしても、湯水のように戦闘機1機に数百億円かけるような軍拡を続けてるの

と、果してどっちが平和貢献になるだろう。

命がかかった身代金は当然払うべきだし、それ以前に、政府はジャーナリストにもっと

安全擁護や金銭的な援助をどんどん与えて、ジャーナリストを大量に送るぐらいの政策

をした方が、どれだけ効率のいい平和貢献政治になるかわからないのだ。


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