5/7のしゅちょう
            文は田島薫

老人力について


20年ほど前、赤瀬川原平さんが冗談半分に提唱した見方で、物忘れや勘違いなどが多発する

老化現象を、マイナスに考える代わりに、「老人力がついてきた」、ってようにプラスに考

える発想で、それは当時私もいい考え方だと感心したもんだった。

40万部も売れたらしいその「語録」は読まなくても全部ハナからわかっちゃった気がして読

んでないんで、私の認識は彼の言ってることと多少違いはあるかもしれないんだけど、当時

さかんにあったらしい「まだまだ若者に負けない老人力」ってような誤用はしないぐらいの

認識はあるんで、私の勝手な解釈と展開をご披露。

どうも世間では年を取ることのよさを考える以上に若者に近づくことのよさの方が優先して

るような風潮で、さかんにアンチエージングの商品やら運動やらばかりが意識されてる感が

あるんだけど、たしかに心身の健全さはできるだけ持続する方がいいに決まってるにしても、

ゲームやらスマフォやらファッションといった流行を若者と張り合ったり同じように楽しめ

ることだけがいいことだ、ってことにはならないだろう。

もちろん老人が若者と同じ物事に好奇心いっぱい楽しむことがわるいわけはないし、そんな

者はいないかもしれないけど、もしもそんなことばっかりをやってる老人がいたなら、若者

の多数がひとつひとつそういった遊びのようなことから卒業して次の目標を始めてる頃、老

人の方は次の展開を示すこともなくひとり寿命が尽きることになるかもしれないのだから。

老人はすでに子ども時代も若者時代も経験して来てるわけで、数々の失敗やら後悔やら感慨

やらをたっぷり溜め込んでる量は若者より多分多くて、その時々で悩んだり考えたり判断し

つつ人生をやって来たはずで、物事の重要なものと些末なものの区別がついたり、逆に、そ

ういった物事の重要と些末といった評価をつけないで、物事をあるがままに平静に受け止め

たり、なにかの認識を深めることも自由になり、若者と違った特性を示せるのだ。

物忘れ、といったことも、けっきょく、物事に重要なものはない、つきつめれば全てどうで

もいい事なんだから、神経張ってぴりぴりと色んなことを気にかけて緊張してる必要はない、

心身だって使いこんできた分できるだけ不要なことにわずらわされないでゆったりと活動し

たいもんだ、っていう老人の体から発する生理的な要求のようなこともあるはずで、だから、

老人はきょろきょろといつも気持の落ち着かない若者と違って、ある意味ボケてるにしても、

どっしりとただ生きる楽しみを見せつつ悠然としていられる、ってわけなのだ。

もちろん老人に聞くと自分は若い時とちっとも気分は変わらない、って言うはずだし、私自

身の気分だってその通りなんだけど、若い時の気分とつぶさに比べてみれば、多少は世の中

の物事を悠然と見れるようになって来てる気がして、多分それが、老人力だ。




戻る