ふるさとを…
たった一人のこった大学時代の友人と会った。二年ぶりである。喫茶店で3時間、世間の
オバサン顔負けの時間をすごした。
その夜、「ひさしぶりに写真の話をした。楽しかったありがとう」と、メールがはいった。
彼は、一歳年上で現役の風景写真家である。仕事の話になったとき「つまらなくなったよ。
指定されたデータに仕上げてもっていくと、女の子がパソコンを見て選ぶだけだからね。
写真の話しなんてできやしない」とぼやいた。昔は、ライブラリーへ行くと窓口の人間と
のあいだでフイルムの性質やレンズの使いこなしについて花が咲き、どうしたらいい写真
が撮れるかを話し合ったものだ。きっとデジタル時代にはじきとばされて心細かったのだ
ろう。
このメールを見て、時代にはずれるとはこういうことかと思うと、わけもわからずふるさ
とに行ってみたくなった。大げさにふるさとといっても山手線のすぐそば、ここから40
分のところなので普段の外出とかわらない。しかし、ふるさとには思い出がある。子ども
のころの残り香があるはずだ。
子どものときはかならず出かけて行った寺の縁日に行くことにした。毎月の縁日には寺に
面した旧街道に長々と露店がならび、戦後しばらくは夜店の明かりがまぶしく感じられた
ほどだった。
出かけてみると、建物こそ変わったが昔の面影をのこす商店街と、その前にならぶ露店の
にぎわいは昔そのままでなつかしい気持ちでいっぱいになった。しかし、商店街から一歩
入った住宅地に足をふみこんでがっかりした。戦後の復興期、バラックから本建築に変わ
ったときも昔の面影はのこしていたのに、バブル以降住人の入れかわりがはげしく、近隣
の仁義もかまわず、ただ権利だけで建てた家並をみるともうここはふるさととはいえない。
「よそ者がわれわれのまちをこわしてしまった」と書いた作家がいたが、まったくそのと
おりになってしまった。
よそ者のふるまいでふるさとをなくすということは、住む土地を開拓者にうばわれたアメ
リカインディアンとおなじ立場になってしまったということだ。これからはネイティブ東
京人と名乗らなければならない。『故郷をまわる六部の気の弱り』という句があるが、気
が弱っても、まわるふるさとがなくなってしまった六部はなさけないものである。
ご感想は題を「シャンせんせい感想」と書いてこちらへ(今号中か次号に掲載) |