4/3のしゅちょう 文は田島薫
(空(くう)、について)
現代人は意識的にそれを避けてる人以外、ほとんどの人々が朝起きた時から各種メディア
からの膨大な情報を受け続けてるわけで、スマフォが出てからはそれが更にエスカレート、
電車なんか乗ってると、ほとんどの人がそれをのぞきこんじゃ、指動かしたりしてる。
四六時中、ヒマな時間さえあればそればっかりやってるとしたら、どんどん情報が入って
くる割にじぶんの頭でものを考える時間がなくなって来そうだ。
私は携帯もスマフォも持ってないんで、外出中にそれはしないんだけど、事務所ではずっ
とパソコン見てるし、居間じゃ、タブレットですぐに検索したりするから五十歩百歩、っ
てところかもしれない。それで、それを集中してしまって気がつくと、もうほぼ日暮れ、
検索やらなにやら知らなかった情報をいくつも知ったらしいにしても、それがどれほどの
意味があるんだろう、などと空しく感じることがある。
ものを知る、って作業の果てにはそれを活用するってことがセットであるのがいいと思う
んだけど、多分この知識は高尚過ぎるかまたは下世話な単なる好奇心を満たしただけの、
今後なんの役にも立たないもんじゃないか、って感じることが多くて、それならそんなこ
とはもっとセーブし、もっと大事なことを探そう、って常に感じてるのだ。
じゃ、大事なことってなんだろう、ってことになると、ま、後にじぶんが社会貢献の一助
にでもなりそうな事柄とか、それがなくてもじぶんの心の底から共感と充実を感じるよう
な事柄について検索やら情報収集するのがいいのかも。
しかし、そうは言ってもそういったたぐいのものだから、ってやっぱりずっとそれをやり
続けたとしたら、情報収集ばっかりで一生を終わらせてしまうかもしれない。
金をためることに一生をついやして使い方を知らなかった、って人のように、知識だって
同じことが言えるんだろう。
それを避けるにはとりあえず、なにも情報を受けない静かな時間が必要なんだろう。静か
に瞑想なりしてじぶんと世界の関係について感じたり考えたりするのがいいのだきっと。
テレビもパソコンも本もなしで、静かにじぶんの心や頭や体や、自然とつきあって長い時
間を充実感をもって過ごせる、ってことが今のわれわれに大事なことなのだ。
もしなにもメディアを使えない状態では空しさしか感じないなら、それは問題だろう。
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