思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、徐々にその感じ方が変わってきたようです。





歌劇・義太夫・浪花節




いま、歌劇・義太夫・浪花節と書いてすぐにわかるのは歌劇くらいのものだろう。

歌劇は、親戚にオペレッタ、ミュージカルがあるし、学校の音楽の時間でその存在くらいは

教わるのでたいていの人はわかる。しかし、義太夫、浪花節となるとどんなものかわからな

い人が大半であろう。

見た目でいうと義太夫は裃をつけた太夫と三味線弾きがひとくみとなり、豪快な三味線の音

にのって太夫が顔をまっかにして謡う。本来は浄瑠璃とよばれ文楽(人形劇)のストーリー

を担うもので芸能としては格が高いものである。浪花節は庶民の芸能で三味線の伴奏で浪曲

師がやはり顔をまっかにして物語を語り謡う。この三者に共通するのは、人が音楽にのせて

物語を語り唄うというところにある。


長いこと歌舞伎を観てきたがこの義太夫にはなかなか親しめなかった。その音楽性をやぼっ

たく感じたことと、なによりも詞がよくわからなかった。歌劇も有名なアリアには親しんで

きたが、外国語がわからず、いくらあらすじを知っていても退屈で全曲を聞きとおすという

ことはなかった。浪花節は、言葉はよくわかるが物語が浅いので聞くこともなくなった。

ところが亀の甲ならぬ年の功を経てくると人の声がここちよく感じられるようになり、義太

夫がよくなってきた。数を聴けば詞もわかってきてますますおもしろくなる。義太夫を聴く

ようになると歌劇も聴くようになって、やたらにレコードを買いこむようになった。浪花節

だけは虎造の清水の次郎長をもっているがまだ聴かない。

人の声というものはコミュニケーションの原点である。歳とともに人づきあいもへってきた

ので人恋しならぬ人声恋しくなってきたのであろうか。


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