12/25のしゅちょう
            文は田島薫

旅、について


旅、って言葉にはたいていの人が、尽きぬ憧れのような感情を持つんじゃないかと思うん

だけど、それはどういった理由なんだろう、って考えると未知の場所やそこに暮らす人々

に出会うことで新鮮な刺激が得られる期待があるからだろう多分。

それは老若男女共通だとしても、私のばあい若い時ほどそれについての興味が薄れてきた

気がするのは、多分、これまでの多少の旅体験やテレビなどの情報で旅に出かける前に、

行った時の感想の予測が立っちゃうことも大きいようだ。

そんなこと言うと、そんなことはない、行くと全く予想とは違った感動があるのだ、って

たいていの人間は言うんだけど、多分まだ未知の好奇心が健在のためだろう。

そう言う私だって、家人に引張られて海外旅行にでも行くと、それなりの新鮮な感想を持

って味わうことはできるんだけど、様々な手続きやら食生活のリズムをこわされるなどの

デメリットも多く感じてしまい、さほどその価値を感じないのだ。

ま、内外の旅行も何度か体験すると、どこも似たり寄ったりなわけで、ただぼーっと、景

色ながめたり温泉に入ったりも、さほど新鮮な感じはしなくて、ただ、あ〜、安楽だな〜、

ってぐらいのことになってしまうようだ。

多分、旅をすごく楽しむ人は、旅の中でなんらかの自分の追求したいテーマがあるんだろ

う。名所旧跡の歴史探索が好きとか、各地の温泉や旅館の探索とか、文学や映画に出てき

た場所探索とか、現地の音楽の鑑賞や探索とか、その他。

あえて言うと私の場合、海が見える気持のいいテーブルでビールを飲む、ってことができ

る場所があったら海外もいい、ってぐらいで、だったら、国内でもいい、ってことになり、

わが家でもいい、ってことになったり。

けっきょく、旅を楽しむには自分の精神的な内容充実が基本、ってことになりそうで、そ

れをしてるうちに、どうしてもこの場所へ行きたい、って気持になるのかもしれないし、

非日常の気分を味わえればいい、ってことになれば、地元のどっかの路地のすみにある店

を発見してそこでビール飲むだけでもそれが果たせるのかも。

最近事情で早起きして、今までトイレの前などの閉ざされた空間でやってた体操を庭でや

ってみたら、雑多な潅木の裏から射す朝の光と空気の中、新鮮な気分になった。これは自

分にとってはひとつの旅の発見のような気がしたのだ、が。




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