思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、過酷な旅から帰還のようです、エピソードその26。





モロッコへいってきた

バスの窓から「カサブランカ」





あてがはずれてしまった。

海沿いを走っていたバスは高速道路に入っていく。下調べでは、エル・ジャディーダからカサ

ブランカまでの道は海岸に沿っているので、大西洋をながめながら、のんびりとドライブを楽

しむはずだった。高速道路は内陸部を通っているので海は見えない。一時間ほど走ってようや

く高速道路をはずれると海沿いの道にもどりカサブランカの郊外に入った。カサブランカとは

ポルトガル語の「白い家」というとおりに白く塗られた建物が多い。

「カサブランカ」という言葉は、80歳以上の人にはそれがどこにあるのかを知らなくても頭

のすみっこに残っているかもしれない。昭和21年日本で公開された映画、ハンフリー・ボガ

ート、イングリット・バーグマン主演の映画カサブランカは「君の瞳に乾杯」というセリフと

主題歌「As Time Goes by」とともに大ヒットした。もちろん封切のときは観ていない。映画は

社会性を含んだラブロマンスだが、ハンフリー・ボガートのカッコ良さに男も女も酔いしれた。

リバイバルで観たこの映画には気の利いたセリフがおおく、なかでも「きのうなにしていたの

?」「そんな昔のことは覚えていない」「今夜会える?」「そんな先のことはわからない」と

いうバーグマンとボガートのやりとりは気に入った。

やがて海岸越しにハッサン2世モスクの威容が見えてきた。バスは海岸をはなれ、左手にモス

クを遠望しながらゆるい坂道をのぼりはじめた。そこは白ずくめの高級住宅街だ。一軒の建物

を指してHさんが「あそこが、カサブランカ会談があった元ホテルです」といった。カサブラ

ンカ会議とは、1943年大戦の作戦と戦後処理についてチャーチルとルーズヴェルトが会談

したもので、このときルーズヴェルトが発した「無条件降伏」という言葉が戦後処理を変えた。

国際政治に長けたチャーチルは無条件降伏という言葉がどのような結果をまねくかわかってい

たので憂慮したが、野心をもつルーズヴェルトの言葉はポツダム宣言まで残ってしまった。も

しこの無条件降伏という言葉がなかったら広島長崎の原爆投下はなかったろうし、朝鮮半島の

情勢もかわっていただろう。アメリカさえよければという狭量な考えはトランプ大統領になっ

てもかわらない。


さて、旅日記から話しはおおきくはずれてしまった。もとにもどそう。

高級住宅街をぬけて坂道を下るとハッサン2世モスクの前に出た。小さな岬の上に建てられて

いるモスクはデカイ。デカイというか巨大である。1986年から8年がかりで造られた敷地

面積9ヘクタール、ミナレットの高さ200メートル、2万5000人を収容する巨大なモス

クは1993年に完成した。

外壁には緻密な彫模様がほどこされ、見ていてあきない。地下の広い空間には参拝人のための

手や身体を清める泉があり、浴室もある。もちろんトイレもすばらしい造りであった。外から

覗きみたモスク内の装飾も美しいが特定の見学ツァーに参加しなければ異教徒は入ることがで

きない。このモスクには神学校や博物館も併設されていてモスク全体の維持にはかなりの税金

が投入されているそうだ。つかみどころのない大きさに圧倒されて見学はおわった。つぎにバ

スを降りたのは街の中心部にある国連広場。広場に面したホテルで国連の会議が行われたため

にこの名がついたそうだが、どのような会議であったかはメモをとらなかったので忘れてしま

った。ここで30分の自由行動になった。道路むこうにはメディナの門が見えるが30分では

時間がたりない。ちょっと覗くだけではつまらないので、市街地を散歩することにした。

街並みは古いヨーロッパの雰囲気をのこすなかに近代的な高層ビルがそびえている。日本の旅

行ガイド本には、カサブランカは近代化された都市で見るものはないと書かれているが、近代

都市のなかにメディナという旧社会が混在しているおもしろさをつたえている本はすくない。

観光というと名所旧跡となる日本人にはわからないおもしろさが潜んでいるはずだ。残念なが

らわれわれのツアーは帰国の手段としてカサブランカに立ち寄っただけなのでこれらを体験す

ることができなかった。国連広場のまわりにはこれといって見るものもなく時間つぶしのよう

に歩いていると、前方からトラムが走ってきた。2012年に開通したトラムは古い街並みに

ひときわ目立つモダンなデザインの車両で利用者もおおい。ぶらぶらと二区画くらい歩いてき

たら時間になった。全員が席に着いたとおもったら、化石の老婦人二人連れの姿が見えないこ

とに気が付いた。すこし遅れてくるだろうと待っていてもいっこうに姿をみせない。3分経ち

5分経ちとしているうちにHさんの顔がいらだちから心配顔にかわってきた。Hさんがマイッ

タさんと相談をしはじめたときメンバーの一人が「あっ、いたいた。きましたよ」と叫んだ。

バスの前方50メートルほどのところをのんびりと歩いている。バスのステップを上がりなが

ら「ごめんなさい。道に迷っちゃって」と言い訳をしていたが、なあに買い物にてまどったの

だ。その証拠に手にはしっかりふくらんだレジ袋がにぎられている。やっぱり年の功にはかな

わない。10分遅れで出発したバスは、あっというまにモロッコ最後の夜をすごす「カサブラ

ンカ・フェラーホテル」に着いた。


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