11/6のしゅちょう
            文は田島薫

意志表示の大切さについて


ふつうに考えても、個人の意志はそれを表現しないことにはわかって欲しい相手に伝える

ことはできないはずなんだけど、例えば恋愛感情のようなものは、それを意志を持って相

手に伝えなくてもそれが伝わることもあるかもしれない。それでも、それをした方がより

はっきり相手に伝わるはずだし、仮にそれの受け入れを拒否されたとしても、片思いのま

までいい、って言うんじゃなければ、気持の切り替えが早く済むだろう。

世界平和にとってはどうでもいいような個人的日常生活の意志表示においてもそれなら、

それこそ世界平和に関わるような物事に個人個人がそれをしなかったために戦争が起きて

膨大な犠牲者が出た、ってような7〜80年前の再現のようなことは避けたい。

平和そうに見える日常生活をおくってると、戦争などというものは自分たちとは無関係な

遠い世界の出来事で、身近に起きるわけはない、って思いがちなんだけど、本当にそうか

どうかは、過去の歴史や世界の現状を見てみればわかるわけで、それを避けられるかどう

かは、民主的な国政の元で、国民が平和への意志表示をし続けることが必要なのだ。

平和への意志、というのは、自分の国の安全のために脅威の他国を爆撃することではなく、

基本は世界じゅうの国や人々が平和であるようにする意志のことだ。

平和を守るための戦争、って表現は形容矛盾、ってもんなのに、それを平気で言う政治家

がいるんだけど、それにはわれわれはよく警戒しなければいけないのだ。

今、米国の大統領が日本や周辺国を訪問して北朝鮮への対応について話し合ってるような

んだけど、武力解決も厭わない、って表現については、脅し以上の行動をさせては金輪際

まずいわけで、そのへんをわが安倍首相政権は歯止めできるのかが重要案件なのだ。

われわれ国民が平和ボケして、戦争なんか起こらないだろう、って気楽に自民党に政権を

取らせてしばらくして、なんだか危険な状況になり、その時安倍首相は多分、わが国は予

測できない非常事態になりました、国民は政府の指図に従い、勝手な行動は慎んでもらう

必要があります、ってことになる可能性もあるのだ。

先日、国会を取り囲む9条の改憲反対の集会があり、私もちょっと参加したんだけど4万人

もの国民が地方からも集まり、あたりを人人人でぎっしりうめたのに、それを報道するメ

ディアは、ただ、4万人の集会があった、ってような小さな扱いだった。

国民の大部分がなんだか安倍政権が危ない方向に行ってるような気がする、って思ってる

らしいアンケート結果もあり、実は集会の人々の数はその何千倍の人々の意志の代表とい

う見方もできるはずなのに、安倍首相はかつて自分への反対デモを見て、そのままの数だ

と思ったのか、一部の人々の意見だと感想を言い安心してるらしいのだ。

とにかく、選挙ではそれを表現しきれなかった国民も改憲の国民投票の時にはっきり意志

表示できるように物事の筋道の把握と認識をしといた方がいいだろう。




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