●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの、つけ心地とリスクのジレンマ。
イアリングを失くす
いいことにしろ、悪いことにしろ、何にしても兆しというものがある。
「あっ、これってもしかしたら」とか「ああ、やっぱりこうなると思ってた」とひと
り合点することが多い。
結果にある程度の予測がつくのはそれだけ経験値が豊富っていうこと。
つまり歳をとったということか。
人よんで、これを“年の功”と呼ぶ。
それが“転ばぬ先の杖、”“先見の明”となって年寄りの武器になれば、めでたし、
めでたし、なのだけれど、そうはいかないのが世の習い。
人は往々にして“高を括る”という行動に走るものだ。
その日、私は外出の際、ショートカットの髪には大きめのイアリングが似合うのでは
ないかとつけていった。
イアリングはきついと耳たぶに痛く、ゆるすぎるとすぐ落ちるので調節がむずかしい。
今までゆるめにしていくつイアリングを失くしたことか。
今回も確かにこれは大きいので危ないな、という予感はあったが、ま、気を付ければ
いいや、と飾りたい欲求が勝った。
そして、案の定その日もなくしたのだった。
歩いていて失くしたのか、コートの脱ぎ着のときなくしたのか・・・
選ぶときはあれほど散々迷ってようやく手に入れたのに、失くすときは一瞬であっけ
ない。残された片方だけのイアリングを眺めてため息をつく。
そして、いつもながら今回も、どうせ安物だからいいや、と言い聞かせてあきらめ忘
れることにした。
先見の明の論理でいけば、ピアスにすればよいのだけれど、耳に穴を開けるなんて恐
ろしく、とてもとても・・・
というわけで、女心に年の功は通じないようだ。