11/13のしゅちょう 文は田島薫
(他人と競わないってこと、について)
この世に生まれて来たからには、できればいっぱしの人間になって、たいした人だ、えら
い人だ、って誉められたい、って気持は私にもあるわけなんだけど、無邪気にそれを思っ
てた若い時にくらべ、年を取って来るにつれてだんだん、そんなことはいらないことじゃ
ないか、って感じることが多くなって来た。
それは、そんなこと思ってても、人並みはずれた努力やら才能やらがそれには必要だ、っ
てことがますます明らかになって来たり、ここまで生きて来て世間からのこれぐらいの評
価だ、ってことは、だいたいその程度の人物ってことで人生を終わる確率が高いわけで、
これから心機一転ものすごい努力して一花咲かせてほめてもらおう、って思わない方が身
の安全のためなのだ、そうしたい人はそうするのはかまわないけど、私は多分。
だいたい自分の普段の気持を越えて無理をしてがんばることはストレスだし、世の中、ど
んなジャンルでもおどろくほどすごい人は山ほどいるんで、そういう人と競争しても勝つ
(?)のは多分宝くじ当てるようなもんだろうから。
それでも、なにか自分が好きでしょうがないことの本を読んだり何かの練習したりがんば
ったりすることは、自分のためなのだからどんどんやってもストレスにならないだろう。
その結果がだれかとの勝敗を決められる、ってもんではないのだから。
他人との競争とは無関係に自分が自分の心の底から望んだり追求したいことをやることは
楽しみであり、それの進歩を見るのは自分の努力の成果を自分で見ることであり、どっか、
心地よい宇宙のリズムと自分が共振してるような気分にもなれるのだ。
そんなことを思ったのは、自分の体力が落ちてきて、たとえば、片足立ちなんか、目をつ
ぶっててもかつては何分も持続できたはずなのに、今はそうとう意識しないと、少しふら
ふらするような感じなんで、これをだれかと比べてたらやってらんないだろうけど、私は
毎日2回ほど、ほんの6回づつ片足スクワットをよろよろとやってるんだけど、それがきち
んとふらふらしないようになるのが目下の目標で、それをやってる時の気持と体じゅうの
集中力と緊張感とつつましい運動にがんばる自分を感じて心地いいのだ。
戻る