●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、照れる、ってことへの自身からの評価は変わってきたようです。



照れくさい


乗り合わせたエレベーターや電車の中でベビーカーに乗った赤ちゃんと目が合うと、ちょっ

とニコっとして見つめ合う。だが私はそこまで。

積極的なおばさんになると「アババ、バー」とあやし続けて、降りるときは「バイバイ」と

手を振って離れていく。

赤ちゃん好きな人はきっと我を忘れて、赤ちゃんに触れてみたい、気を引きたいと無意識に

行動にでてしまうのだろう。その気持ちはわかる。誰だって赤ちゃんに好かれたいもの。

「コドモノ好キナ人ニ悪イ人ハイナイ」と、誰かが言ったような気がする。

そのおばさんはきっと気の良いイイ人なのだろう。

思った通りに無邪気に振る舞えばいいものをそんな言葉がよぎること自体照れくさいのだけ

ど、私はもうそれ以上進めない。

花も同じこと。寿司やてんぷらを語るように、わたし、お花が大好きなの、と言えない。

こんどは「花ヲ愛スル人ハ心ノ美シイ人デアル」という言葉がこだまする。

そんなことを意識して花を飾る人はいないだろう。花は美しいから愛でていたい、それ以上

でもそれ以下でもないのに・・・

世の中にはストレートに感情を表したり行動したりすることができる人とできない人がいる。

まったく照れくさいという感情は、厄介なもの。そしてあとからあのときああすればよかっ

た、こうすればよかったと後悔をともなうことが多いのだ。

ところがである。

そんな経験を積んだからか、はたまた面の皮が厚くなってきたからか、私は歳を経るに従っ

て、最近照れる感情が薄れてきたように思う。

そのかわり、照れているひとをみるのは好ましく、いいのよ、いいのよ、感情は小出しでい

いのよ、とエールを送りたくなる。

だが、世の中にはまったく照れを知らない人たちがいる。政治家だ。


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