思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、やっぱり型通りの風情も味わうことにしたようです。





言葉につられて




友人からきたメールに「どうせ今日もふらふらと出かけているのだろうから、帰った

ら返事をくれ」とあった。この、「どうせ…ふらふらと出かけ…」だけをとると、ま

るで徘徊老人ではないか。

たしかに出かけるのがすきである。しあし、ここ半月なにかと用事があって街中には

でていない。こんなのんびりした生活でもいいのかな、と思っていたところにこのよ

うなメールをもらうと出かけないわけにはいかなくなる。


ひさしぶりに隅田川沿いの桜を見にいくことにした。川沿いの桜の眺めは毎年東武電

車の車窓から見ているが、桜の季節に土手を歩くのは十数年ぶりである。

ここの桜は、満開を少しすぎ川面にあふれんばかりに咲くときがいちばんよい。

寒さつづきでその眺めには早いが、堤防から一段下がった水辺にちかい遊歩道から堤

をながめていると、多くの作家によって描かれた昔の隅田川の景色が視界にかさなっ

てくる。


築地に生まれ本所で育った芥川龍之介の「大川の水」をはじめとして谷崎潤一郎、芝

木好子、泉鏡花、川端康成がそれぞれの隅田川を書いている。隅田川といえば、その

名も「すみだ川」」を書いた永井荷風をわすれるわけにはいかない。

こうして、良き時代の隅田川に心をあそばせていると、頭上を走る高速道路の騒音も

気にならず、川面を行き交う水上バスや観光船も粋な屋形船や猪牙船にみえてくる…。

ちょっと贅沢な時間を過ごせたのも、友人の「どうせ…ふらふらと出かけ…」の言葉

のおかげかもしれない。


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