思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、肉の塊を前にして色々な思いが巡りました。





肉と格差




菜の花は群生がこのまれる。その数5万本とも10万本とも、数の多さで美しさを競う

ところがある。その10万本のなかまにいれてもらえず野原に一本咲く菜の花も美しく、

菜の花に変わりはない。


まな板のうえに調理をまえにした大きな肉の塊がのっている。それを見て「おっうまそ

うな肉だ」というと「これブタ肉よ」と返ってきた。このずれた会話にはわけがある。

ブタ肉よ、には牛肉にくらべ安い肉という意があり、うまそうな肉、は子ども時代に夢

見た肉の塊をみたからだ。

そのころ肉といえばこま切れ、いまの感覚でいえばこま切れ以下のくず肉に類するもの

だろう。それでも肉というものは垂涎のまとであった。まして牛肉なんていうものは想

像外のもの。だからいまでも肉の塊をみると幸せな気分になる。もうそんな塊を食べる

元気がないのに、である。


作家戸板康二風にいうと、年下の友人がいる。

彼は、東北の海沿いの町で県立高校の教師をしている。震災前年赴任してまもなくのこ

ろ、休みで帰ってきたとき、「どう、東京から来た先生はもてるんじゃないの。だめだ

よ、女子生徒に手を出しちゃ」とひやかすと「とんでもない、みんな素朴でいい子です

よ。ほっぺたを赤くしてぜんぜんすれていないんですから」と自己弁護ともつかない返

事がかえってきた。都会の尺度でしかものを見られなくなった目には、にわかに信じが

たいことだった。

彼は部活の顧問をしている。「部活のあとでたまには甘いものでも食べに行くの」と聞

くと「焼肉ですよ、とても喜ぶんです」と意外な答えがかえってきた。「あ、育ち盛り

だからね」というと、「ちがうんです。めったに肉を食べられない子がいるんです」。

いまどき肉がたべられない子がいる…この答えに唖然としてしまった。彼の任地は、東

北の漁港ではめぐまれた方にはいるはずである。そこでもこのような経済格差があると

いうことはショックであると同時に、都会のレストランで食い散らかす子供たちの姿を

おもいうかべ、日本全国にひろがる経済格差と、豊かさの群れからはずされた子どもた

ちの存在をあらためて感じさせられた。


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