●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、今度は花に人生の理想を感じたようです。
水仙
ふと、誰かに呼ばれたような気がした。
だが、誰もいない我が家の部屋の中だ。そんなはずはない。
見まわしてみるとダイニングテーブルの上に飾られた水仙が目に入った。
先日雪が降ったとき、庭の片隅で蕾のまま茎が折れてしまっていたので摘んで活けたもの。
小さな籠に細い直線のような葉とともに活けた日本水仙が2本。
今ようやく白い6枚の花弁が開いて強い香りを放っていた。
ああ、このせいかと思い当たった。
この水仙が“ほら、咲いたよ”と自己主張しているのだ。
直線の葉と小さな丸のような花、色は白と黄色と緑。まことに単純明快で無駄がない。
だが、この魅力的な存在感はなんだろう。
厳冬の季節に咲く心意気のせいだろうか、一切無駄のない厳然たる佇まいのせいだろうか。
いつものことだけれど、私は水仙になにか精神性を感じてしまう。
昔、水仙のような人に恋をした。何事も一刀両断に論じて迷いがない。潔く自分の信念の
ままに生きる姿にあこがれた。
そして、月日が経ち、私はどんどん世の中の理不尽さやいい加減さに妥協していった。孤
高なんてとてもとても、立派さには縁がないし、それに無理な緊張なんてまっぴらだとう
そぶくようになった。
私にないものをもつ水仙。
恋してあこがれた水仙の呼びかけにちょっとひるんでしまう私がいる。