●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、災難の後に貴重な時間を過ごせたようです。



90才現役


近辺の外出や買い物にママチャリを愛用している。

先日後輪に異常を感じて、押して見るとふにゃふにゃしている。どうやらパンクらしい。

さて、困った。昔からあった最寄りの自転車屋はとっくに廃業してしまっているので修

理するなら隣駅までいかねばならない。めんどくさいなあ、と思いながら、仕方がない

ので風が強く寒い中自転車を運んだ。

K駅前のごちゃごちゃした商店街の一角に軒の傾いたような小さな修理屋にようやく辿

り着いて、えっ! と声をのんだ。なんと店のガラス戸に“本日休みます”と張り紙が

してあるではないか。

なんでなんで…せっかく苦労して遠くからきたのに…とうらめしく張り紙を見つめた。

さてどうしよう…出直すか…思案しているとガラス戸の中に人影が見える。思い切って

戸を開け「今日はお休みなんですかぁ」と声をかけた。中にいた白髪のおじいさんがゆ

っくり振り向いて、「ああ、そう、ん? なんだ?」とモゴモゴという。すかさずおば

さんのずうずうしさで「隣のM駅からきたんですけど、パンクらしいんです。見てもら

えませんか?」と、腰を低くしていった。すると意外にも「ああ、いいよ」という返事。

気の変わらないうちにと急いで自転車を狭い店の中に入れ、「お休みのなのにすみませ

ん。助かります」と頭を下げた。

おじいさんは早速、後輪に空気を入れて様子をみると、傷んでいるから中のチューブを

取り換えた方がいいという。3〜40分ぐらいだというので、私は覚悟を決めて待つこ

とにした。

店内の両壁には修理用の道具が散らかったように雑然と置いてあるが、おじいさんには

何がどこにあるのか頭に入っているようで、すぐ必要な道具を揃えると、油の滲み込ん

だ床につぶした段ボール置き、自転車を前にどっかり座った。私も隅に丸椅子を見つけ

腰を据えた。

おじいさんは見かけによらず話好きだった。

私がM駅付近に住んでいるというので興味を示し、いろいろ今の様子を質問する。それ

で分かったのだが、なんと、M駅近くの廃業した自転車屋はこのおじいさんのお兄さん

で、自分も少しの間住んでいたというのだ。

それからおじいさんの一代記が手を動かしながらポツリポツリと語られた。

「わたしゃ90才だよ。67年もこの仕事をしているんだ。戦後の23年に開業した。

ほら、見てごらん。あれが証明書だ」指差す方をみると、すっかり黄ばんだ日本自転車

技能協会が発行した合格証が額に入れて壁に掛けてある。店の真正面に掛けてあるのは

おじいさんの誇りなのだろう。

「90年も生きているといろんなことがあるよ。やっぱり一番辛かったのは戦争で、食

べるものがなかったことだ。大根飯っていったって大根にうっすらと飯粒がついている

だけさ」

「手に職をつけるのが一番だと思ってさ、わしも兄貴も技術を磨いた。お蔭で戦後喰い

っぱぐれはなかったし、今もこうして働ける」

「だけど時代は変わる。古くからある前の経師屋は息子が継いでインテリアって名前を

変えた。手前の桐ダンス屋は高級家具の修理屋に変わった。時代に合わせてうまく変わ

ればいいものをわたしゃ電動自転車など持ち

込まれてもようわからん」

「子供を大学に出したら自転車修理なんていうこんな汚くて手間賃の安い商売なんて継

ぐものか。ここもわしの代で終わりだ」

「健康法? 酒もたばこもやらないけど、何事もくよくよしないで毎日やることがある

ってことだ。今、こうしてボケずに元気で仕事ができるのは幸せだね。ただ、寂しいの

は同じ時代を生きた人と話す相手がいないことかな」

おじいさんの口から出る言葉はすべて含蓄があって考えさせられる。私は人の一生の重

さを垣間見た気がした

やがて、修理が終わる頃はおしゃべりの時間を入れてたっぷり1時間はかかっていた。

そして、わたしゃ、やっつけ仕事はしないよ、といいながら、最後に油をさしてくれ、

ブレーキやタイヤの空気の状態を確かめて、はい、3500円です、といった。

私はお金を払いながら、ありがとうございました。助かりました。と心から礼を述べ、

思わずおじさんいつまでもお元気でいてください、頼りにしてますから、付け加えた。

帰り道は快適になった自転車と思いがけないおしゃべりで心が満たされていた。


戻る