12/12のしゅちょう 文は田島薫
(人生の探し物、について)
前回、人生は短いんだから毎日を大切に過ごそう、って手あかのついたようなことをわざわ
ざ言って読者の失笑を買ったかもしれないんだけど、今回は懲りずにそれに輪をかけたよう
な話になると思うんで、先を見越した方から読むのをやめてもらってけっこうです。
人は日々、自分が心楽しめたり、感じ入って追求したいと思うものや、普段押しつぶされた
ように苦しく感じている気持を解放してくれるような対象を探してて、でも、それが何なの
か、なかなかわからなくて、とりあえず手近な一時の楽しみに興じたりしつつ、本当に心か
ら、自分の求めてるものはこれだ、ってものを探してるんじゃないんだろうか。
とは言っても、早々少年の頃から、自分の求めてるもんは、サッカーだ、とか音楽だ、とか
科学だ、とか信じられた者もけっこういるんだろうし、それを貫徹できたのならそれは幸せ
なことだろうと思うんだけど、途中で挫折してしまうことも多いはずで、でも、その時はそ
の度、別口を探せばいいんだろう。
で、その探し物を、そういった職業のようなもんに限定する必要もなくて、職業と別に収入
を伴わない形で追求できるものが見つかってそれをできるならそれもいいだろう。
ロックスターのニール・ヤングは「ハート・オブ・ゴールド」って曲で自分の探し物は金の
心(かねじゃなくてきん)だ、って歌った。それを求めて、色々な場所へ行ったんだけど、
けっきょく、それは自分の心の中へ行った時にわかりそうな気がして、今もそれを探しなが
ら心の中の旅を続けてるんだ、って歌った。
それがどうした、って言う人もいるだろうけど、そう言いたい人は多分自分ではその自分に
とっての価値あるものを見つけた人なのかもしれないし、見つけたと思い込んでるだけの人
かもしれない。
今、自分が夢中で打ち込んでるものを死ぬ時まで追求したとして、や〜、自分は価値のある
ことをやりとげた、って思うか、や〜、全く世の中に役に立たないことやってたけど、自分
じゃ充分に充実した楽しい時間を過ごせて満足だ、て言うのもあるかもしれない。
ま、いずれにしても、みんなと同じようなことしちゃ、とりあえず自分は世間通りだから大
丈夫、って安心してるばっかりじゃなく、自分の本当の探し物はなんだ、って、自分の心と
対話したりちょっと考えてみるのもいいんじゃないか、と。大きなお世話でした。
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