●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、わが家の片隅に咲いた花の実力を再確認したようです。



菊日和


庭の片隅に今を盛りと小菊が咲き誇っている。

昔、鉢植えで買ったものを水やりが面倒なので地面におろして、そのままほったらかして置

いたものだ。それが勝手に増えていって今では狭い庭の一角を占領して群生している。

普段見向きもしないのに、花が咲けば現金なもので、“おお、愛いヤツだ”とばかりに早速

愛でるのである。

だが、ひとつひとつの花をよくよく見るとまったくみすぼらしい。直径2cmぐらいの小さ

な花で、花弁は地味な白、真ん中のめしべの部分は黄色くこんもりしていて、まるで小さな

破れ傘のようだ。

なにしろ剪定もせず肥料もやらずまったく手をかけなかったのだから大輪になりようもなく

痩せ衰えているのは仕方がないのだと分かっている。だから破れ傘なんてと悪口を言うのは

酷というもの。むしろ雑草にもめげずよくぞ生き残った、よしよし、と褒めねばなるまい。

さらに、こんなみすぼらしい小菊でも群生していると、多数の迫力でマスゲームのような集

団の美しさといおうか、豪華絢爛たる雰囲気をかもしだし、寂しい庭を華やかな雰囲気に演

出してくれる。

さらに侮ってはならないのは痩せても枯れても菊なので、上品な香りを辺りにふりまいてく

れることだ。


思えば菊は日本では特別な花だった。

皇室の御紋は菊の花だし、古くから気品高く高貴の花として上流階級の間で愛玩されてきた。

江戸時代になって、町人社会でも大いにもてはやされるようになると菊の種類も多くなり、

さらに珍しい色や形の菊を争って工夫し楽しんだのである。

歌舞伎に“菊畑”という演目がある。『鬼一法眼三略巻』の通称で、私が歌舞伎を見始めた

頃に観たことがある。話の筋は理解できなかったのか忘れたけれど、舞台いっぱいに色とり

どりの大輪の菊をあしらった場面が目に焼き付いている。

当時の人々の菊に対するあこがれを象徴しているようだ。

今の時期、あちこちで珍しい品種や大輪を咲かせた菊や小菊による菊人形などを競う菊花展

が開かれていることだろう。

だが、今や花の世界は品種改良が進み、輸入花も気楽に手に入ることから、花屋で最も安い

花束といえば、小菊をまとめた仏花となり、菊の守備範囲は狭くなった。

ピンキリの花だけど私は我が家のキリの菊を楽しもう。


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