●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、浅草に文化の奥行きを感じたようです。



シリーズ 街角感傷

浅草


長いことアメリカで暮らした義姉が帰国して家探しをしたときのこと。

義姉の友人が浅草にマンションを持っているので、どうか、といってきたのだが、

義姉は即座にNO。理由は猥雑な街は嫌いだということだった。

浅草界隈といえば浅草寺を中心とした仲見世通りや花やしきや六区やちまちました

料理屋や商店が浮かび、祭りもあるし市も立つし、花見もあるしと、一年中ハレの

日みたいな場所である。義姉の好みはその対極にあったのだ。

義姉はそのようなさまを無秩序なアジアンカラーに満ちていると表現した。

なるほど、洗練される以前の雑多な文化をウリにしている所は観光としては面白い

が住むにはちょっと…ということなのだろう。

なにしろ江戸時代に栄えた歴史ある古い街である。見方を変えれば、まだむきだし

の人情が息づいているかもしれない。江戸っ子、下町、祭り、賑わい、伝統といっ

たソフトの部分には興味をもち、あの江戸っ子気質をこよなく愛する人たちにはど

っぷり浸ってみたい街となるだろう。人それぞれだ。

だいぶ前のことで記憶が薄れているけれど、あるとき浅草で夜に集まりがあり、浅

草寺からちょっと離れた裏手の小料理屋で会食したことがある。

お開きが9時過ぎになり、駅に向かおうと浅草寺横の通りを歩いていると、ほとん

ど店は閉まって暗いのには驚いた。おや、もう店じまい? と意外に思った。賑や

かな昼間の顔とは異なり、静かでひっそりと暗闇に包まれている様子は普通の住宅

街とまったく同じであった。

なあ〜んだ、浅草といっても不夜城ってわけではなく、明日の昼の商いに向けて、

早じまいにするつつましやかで規則的な庶民の暮らしが営まれているだと納得した

ような気がした。

だが、そのとき、塀に囲まれた家の中から微かに三味線の音が聞こえるではないか。

やはり、只者ではない街だった。


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