●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが病気の夫の心情を想像したシリーズの5。



シリーズ あるがん患者のたわごと

人生


穏やかに新年を迎えた。

正月には娘が来たし、孫と遊んだし、息子とも飲んだ。若者と一緒に過ごす時間は普段

とは違った高揚感があっていいものだ。

ただ皆やってくると、開口一番、「お父さん、具合どう?」と聞かれるようになって、

何かひとつ位負けしたようで気が弱くなるのがどうしようもない。

病気の話は適当にして、「最近はどうだ?」と水を向けると、生き馬の目を抜く社会に

身を置いている現役世代は、人間関係で傷ついたり助けられたり、また旺盛な行動力か

ら生まれる喜怒哀楽に身をさらしているぶん、話題が豊富である。

しかも自分とは違った見方を教えてくれるのが新鮮だ。

そして、若い人たちは屈託なく今を語り未来を語るが、わたしは語るべきものは過去の

ことしかないのに気がついた。

なんとか労わられたぶん、父親として威厳を保つようないいことを言おうと思っても、

小さな商社で気苦労の多かったサラリーマン人生を振り返り、平凡なことしかいえない。

「お父さんはね、努力して自分の人生のコースを決め、進めてきたと言いたいところだ

けれど、そのときの社会状況や時代の流れで必ずしも自分の思い通りにはいかなかった

よ。まず大学卒業時が不況で求人がなく就職で苦労し、就職してからは為替で苦労し、

資金繰りで苦労し、苦労の連続だ。もちろんいいこともたくさんあったけどね。人生は

選択の連続だ。その選択にはその人らしさが出るものだ。ああすればよかった、こうす

れば良かった、と今になって悔やむことがたくさんあるが、それはそれでしようがない

ことだよ。人生なんてそんなもんだ。」

などと負け犬のような言葉しか出ない。

そんな話をすると、その人らしさとは親からもらった遺伝子と生まれ育った環境が決定

的な要因のようだということになり、子供たちは、誰それはお父さん似、お母さん似、

という話になり、最後には、お父さんのこんな悪いところが似ただの、こんなところは

お母さんとそっくりで損した、とかの話になり、非難のお鉢がこちらへ回ってきてしま

った。

そこでわたしは思う。

どんな人生に対してもいいとかわるいとか言えない。

なぜなら、生きていく過程には偶然的に必然的にインプットされたプログラムがあり、

その外部条件に自分なりの反応しながら日々生活していく。つまり、その人らしさの積

み重ねの結果が人生であり、その人にはそう生きるしか生きる道はなかったのだから。

なんて考えるのは、ともすれば塞ぎがちな気分になる自分を慰めたいからだろうか。


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