●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんのスイーツの思い出。



チョコレートパフェ


広い店内には低くクラシックのBGMが流れていた。

オオモリさんと姉と私の三人が丸いテーブルに座っている。

姉とオオモリさんはすでに婚約をしていた。どういうわけでお邪魔虫であるはずの私が

同席しているのか思い出せないが、私はオオモリさんとはとっくに仲が良かったので、

喜んでついてきたのだろう。

おまけにこんな素敵なフルーツパーラーに寄ったので、ご機嫌だった。

内気で無口な姉はあまりしゃべらずもっぱら聞き役で、先程からオオモリさん一人が饒

舌だった。

「僕は昔から絵が好きなんだけど色盲でねえ、色を塗るとダメだったんですよ。だから

今は写真がちょうど合っている」

その頃はまだカラーではなく白黒写真だった。以前、私はオオモリさんに頼まれてコス

モスが群生している戦後の焼け跡地に立ち、「コスモスと少女」という題でカメラ雑誌

に投稿したのを知っていた。

“シキモウ”という耳慣れない言葉を頭の中でころがしているうちに、やがて、注文の

チョコレートパフェが運ばれてきた。

縦長のチューリップのようなグラスに、チョコレートがマーブルのような模様をつくり、

丸いアイスクリームが浮かんで、さらに山のようにリンゴやバナナやチェリーなどのフ

ルーツが飾られているのを見て私は目をみはった。豪華さに驚き、一口食べてまた驚い

た。世の中にこんな美味しいものがあったのか! 

戦後の世の中は落ち着いてきたとはいえ、まだまだ世間は貧しかった。どこの家でもス

イーツといえば、お汁粉や和菓子が精一杯の時代である。

ねっとりと舌にからまる牛乳・バターの脂肪の味は、目新しく豊かな西洋の味だった。

格闘するかのように食べている私を見かねて、姉が

「そんなにかき回しちゃだめ。ソーダ―水が溢れるから」

と注意した。

私は12歳にしてこのとき味わったパフェは生涯忘れないだろう。

3人が食べ終わってパーラーを出るとき、ちょっと揉めた。会計をオオモリさんが払う

か、姉が払うかでお互い譲らないのである。

結局姉は、今日は妹もいるからと押し切って支払ってしまった。それはいつもおとなし

い姉とは違った強引さで、私はこのとき姉の跡継ぎ娘としての矜持をみた思いがした。


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