8/31のしゅちょう
            文は田島薫

(恐怖心の危険性について)


自然災害の可能性がある状況で、前もって最悪の事態を想定してそれの対処の仕方を準

備しとくのは必要なことだし、対人的な被害についても、起きうる最悪の事態を想定し

て、例えば、契約書のようなものが必要になるわけなんだけど、肉体的障害を受ける危

険性についての準備、ってことになると行き過ぎは問題になるだろう。米国では自分の

身を守る、って理由で銃の所持が認められてるおかげで、毎年それによる死者が多発し

てるわけだし。

現代の社会で、いきなりの無差別殺人、ってようなことはあっても例外的な数で、仮に

それに遭遇した場合、銃を所持してたおかげで応戦して命が助かった、なんて例はあま

り想像できない。たいていの武器を持った脅しやら攻撃のような状況にはなんらかの経

緯や理由があるもんだろうし、銃を持てばいい、って単純な予防より、そういった状況

を作らないで済むような平和にみんなが暮らせる環境作りの方が大事なんであって、そ

れでも起きる犯罪などは警察にまかせればいいんで、訓練も受けてない一般人が武器を

持つのは危険だろう。

で、お気づきのように、けっきょく、安倍政権が進めてる安保法制についての比喩めい

た話に持って行きたいんだけど、さっきの話しの流れを聞いた安保法制賛成派の人々な

ら、だから、米国との安保法制は警察の守りと同じだ、って言うのかもしれない。

ところが、警察と同じに考えるなら、国を守るのも今ある自衛隊の武力と先守防衛で十

分なはずなのだ。

仮に犯罪者に見立てた他国が(いきなりそう見立てるのは非常に傲慢な見方だと思うけ

ど)、日本の領土に侵略上陸してきた場合(これも、最近では自分たちの前科であって

他国の方ではないはずなのに)、警察なり自衛隊が取り締まればいいんであって、米国

との集団的自衛権などどこで必要になるというのだ。

中国が日本近海や南シナ海で領海侵犯行動をしてるので、わが国に危険が迫ってる、っ

ておどかし発言をしたり聞いたりしてる一部が、そりゃ大変だ軍備を充実させないと、

って、短絡的な恐怖感で結論付けてるに過ぎないのだ。そういえば、そう主張してる賛

成派の老若男女は、それを言う時、どっか恐怖にひきつったようなおどおどした表情を

してるような気すらする。そんなふうにいつでも手前都合ばかりで安易に相手を敵視し

てしまう風潮が相手にも緊張感や敵視を誘発するわけで、平和外交とは真逆のメッセー

ジを広げることになるわけで、つまらないことこの上ないのだ。

だいたい、戦争でもケンカでもオオゴトになるのは、恐怖のあまり思わず手を出してし

まう小心者が始めることが多いのだから、国民の命を守るために、とか言った言葉に惑

わされて間違った道行かないように国民はみんなで気をつけるのがいいのだ。




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