7/6のしゅちょう
            文は田島薫

(盲目的愛国心の危険性について)


財政破綻のギリシャがEUから援助の条件として緊縮財政政策を求められてることについ

て国民投票があり、反対多数で否決した。国民は強気の若い首相に鼓舞された形らしい。

われわれは服従させようとするEUに妥協しない、借りた金は今返せないけど、そういう

ことで緊縮政策はしない、だけど財政支援はしてくれ、ってことらしい。

財政破綻には自国の政策的責任もあるはずなんだけど、現実の経済的苦しさに我慢ができ

ない、ってことなんだろう。喩えは少し違うかもしれないんだけど、わが国も、より大き

な富を求め、ソ連からの侵略防御のような理屈で中国へ派兵した後、欧米からの撤退要求

を拒絶し、鼓舞された国民は愛国心で応援、結果、経済封鎖に合い困窮の度合いが増し、

結局、米国に宣戦し資源確保のためのアジア各地への侵攻や物資輸送なども阻止され、益

々国民の貧困の度合いが拡大したばかりか結果300万もの人命を失ったことを連想した。

これなら、元の生活の方がよっぽど豊かで平和でよかったんじゃね〜の、ってことで、自

国の都合ばかり考えて他国を侵略しちゃいけない、って教訓なんだけど、もちろんギリシ

ャはそこまでのことはしてないからまだ救いはあるにしても、自国本意である、ってこと

は似てるわけで、これはどこの国の国民でも陥るワナなのだ。

先日は自民党若手議員の会に同席した愛国的(?)作家による、沖縄の新聞2社はつぶす

べきだ、って発言が容認されてたようなんだけど、当人はほんの軽口だと思ってるとして

もこういった政治の当事者を相手に言う言葉としては無責任だし、心からの愛国的国防意

識によったものだとすれば、かつての言論統制で国民を危険な状況にリードした時代と同

じ考え方なのだから、当人はその可能性について全く考えたことがないか、考えた上で、

愛国心による人命の損傷はあってもいい、って考えてるのかどっちかだろう。

愛国心による戦いの可能性をもし、安易に考えることができる人物がいたとしたら、多分

いい大人になるまで戦争の犠牲になった一般庶民の苦しみを本気で感じとることができな

かった人物だろう。自分にふりかかる命の危険についてはなんとか避けたいんだけど、他

人のそれについてはあってもしかたないと考え、それに対して励ましたり同情することは

できます!ってようなただのロマンチシズムに涙するだけの人物なのだ。

世の中、そんな幼いロマンチシズムの大人が国民に愛国心を鼓舞することが時にあり、安

易にそれに共感なんかしたら後でとんでもない悲惨な状況を招くことになるのだから、そ

ういった人物たちの発言にはくれぐれも気を引き締めて対応しようではないか。




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