●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、林檎の持つ象徴性について思いを巡らしました。



林檎


林檎がごろんとひとつころがっている。

林檎はもうそれだけで何かを語り始める不思議な果物だ。

食欲をそそるというよりも、このごくありふれた果実が背負っている象徴性に目がいっ

てしまうからか。

その物語性というか象徴性は林檎の過去にある。

それは聖書『創世記』にでてくるアダムとイブの禁断の木の実である林檎から始まり、

万有引力を発見したニュートンの林檎、そしてウィルアム・テルの矢に射られた林檎、

そして、アップル社のシンボルマークの齧られた林檎、というふうに林檎はさまざまな

歴史的な場面で登場する。

すべて、いままでの世界を一変させしまうほどの立役者だった。

林檎はただものではないのだ。

当然、その存在感たるや見る者に投影する。

だからだろうか、林檎を油絵画家は好んで描く。あるときは主役のように、あるときは

脇役として、そしてあるときは何らかの記号のように。

先日、フィンランドの女性画家「ヘレン・シャルフベック」展を観てきた。

彼女は3歳のときに階段から落ちて足が不自由になったが、後、絵の才能を開花させ、

自画像を多くのこした画家である。

どちらかといえば薄幸な女性で、“魂のまなざし”と冠した展覧会だけに色彩を抑えた

内省的な絵であった。

なかに林檎を描いた絵がいくつかあったが、それらの色は、恋をして幸わせ一杯のとき

の林檎は赤く、そしてその恋に裏切られ悲しみにくれたときの林檎は腐っていてまっ黒

なのであった。

腐った林檎もモチーフになる……

画家の林檎に対する想いは深い。


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