6/1の日記          文は田島薫



嵐のような忙しさ


先週の家人は翌週に迫った、シャンせんせー夫妻指導で蒔いた藍の植代えのための来

宅準備やその後に控えた私のおばの1周忌に札幌へ行くために、庭の整地や枝のゴミ

出ししたり歯医者治療行ったり美容院行ったり地震に騒いだりの大忙し。

私の方はちょっとだけ手伝うマネしただけで、事務所で仕事してるようなかっこだけ

しながら、グーグルアースでちょっと札幌のストリートビュー見たりした以外は、ボ

ブ・マレーやJJケイルのユーチューブかけて、そのコード展開や歌詞を調べたりして

楽しい時を過ごした(オイオイ、家人談)。

忙しい家人はそれでも、歯医者のついでにDVD借りてきたりするもんで、夜はビール

や梅酒飲みながらそれをふたりで鑑賞することに。

何年前かの映画、村上春樹の「ノルウエーの森」は、原作の軽い空気感が重い沈痛な

感情劇になってて違和感を感じたんだけど、それは作る方の主観が違うわけだから、

小説の映画化、ってもんにはいつもそれは付きもんなんだろう。

2つ目のはハリウッドもので、離婚した中高年の夫婦の夫の方が、若い女性と再婚し

て子供ができたんだけど、気持ちやセックスの(?)ズレを感じ、元の女房とよりを

戻したい、ってさかんに元妻にモーションをかける、って、そんなことありうるんか

いっ、ってつっこみを入れたくなるような話なんだけど、豪邸を増築したりしながら

なんだか悩み顔でどたばた動き回る初老の男女に、人生の悲哀は感じられた。

土曜の晩は、「木漏れ日の家」ってポーランドの映画で、91才の女優の表情と何かを

感じ取ろうとする飼い犬の顔のアップが多用されるモノクロ映像が新鮮な作品だった。

打算と永遠、大切なものの継承、を勧善懲悪的返り打ち、ってような単純な図式にし

ちゃったけど、いいんじゃないの、それで正解、って見てる方も納得。

日曜の午後は、ダービーの買ったつもり観戦をしてたら、スタート真際に、茨城へ車

で何度も運んでくれてたいとこから電話があり、行く予定はないのか聞かれ、いろい

ろ法事が重なったりしてたことを伝えたら、いつでも運んでくれる、って言うんで、

7月か8月にお願いする、って礼を言って切ったら、スタートに間に合い馬券予想はは

ずれた。その後、藍植代えのために100均で買っといた土がどうも量が足りないしせ

んせー指定のものと違う気がしたんで、家人とちょっと離れたホームセンターまで散

歩がてら出かけ、これだこれだ、ってのを買って帰って来た。

夜、家人の婚活中の若い友人から電話があり、今つきあってる相手との対処の仕方に

ついて相談があって長々話してて、こっちも聞くとはなしに聞いてたら、無理矢理バ

トンタッチされたんで、そんならば、って思いつく感想をしゃべった。


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