5/4の日記          文は田島薫



目にタオル巻いて観たり読んだり


先先週ぐらい前からずっと花粉症の関係とみられるセキがひどかったんだけど、どう

も食事にいつもふりかけるコショーやトーガラシがそれを増幅してるようだった。

先週、尾形歌人がホームページの歌の更新に来た時も、医者行った方がいいんじゃな

いか、って心配されたんだけど、この時期は毎年この症状が出るのだ。

それもじょじょに治まって来ると、本来のずっと続いてる目のかゆさが気になって、

しょっちゅう顔洗ったりしてたんだけど、知らずに目をこすってたせいか、右目が腫

れてきて、ものもらい状態になったもんで、土日はメンタムぬったりタオルを濡らし

て目に巻き冷やしながら過ごした。

土曜は、浦和レッズとガンバ大坂テレビ観戦。昨シーズン土壇場で優勝を奪われたチ

ームだけに、ホームサポーターの熱気がすごすぎて、ガンバ一団もここでもしまた勝

っちゃったら生きて帰れないかも、って感じたせいか、勝たしてもらえた。

翌日曜の午後は競馬の天皇賞。いつも1000円券を5枚買ったつもりで予想すんだけど、

いいとこまで予想適中するも全はずれ。いやいや、想像だけでよかった。でも、じゃ、

当った時はがっかりすんじゃねーの、って思うかもしれないけど、当った時は、当っ

たことがうれしいし、金ももらった気分になれるから、どっちも幸せなのだ。

その他の時間は家人が借りてきたDVD、頑固じじいが死期ま近かの女房が参加する老

人コーラスにいやいやながらに参加することになり、最期はソロまで歌っちゃって、

不仲だった息子とも和解しちゃう、って映画を観た。ってネタバラシ(おいおい)。

間もなく家人の父親の四十九日なんで、父親が20年前に、息子と行った中国旅行記の

400字原稿用紙30枚分のコピーもらっておいたやつを日曜の夕方、読んだ。

亡くなる直前に書いてた日記の文字も読みにくかったんだけど、20年前のこれもほと

んど同様の読みにくさだったから元々マイペースの人だったようだ。

戦中過ごした自分のことや戦友や中国人に思いを巡らしながら息子の案内に感謝を感

じつつ北京、西安、上海の名所旧跡を見物しては感想を述べてるんだけど、北京の最

終日に旅行団の同行者の「亀井」さんが行方不明になって1時間半も探したのに、とう

とう見つからなかった、ってとこで、以後、その件にふれてなかったのが、おいおい、

大丈夫なのか、って気になったんで、今度息子である、家人の兄貴に聞いてみよう。


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