5/11のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争をなくす方法について 16)


私の両親が死に、住んでた家を処分しなければならないんで、両親の持ってた色々な物を

捨てることになり、心が痛んでるとこなんだけど、続いて家人の両親もまた亡くなって、

こちらは賃貸アパートだったもんで契約を早めに切らないことには出費がかさむ、ってこ

とで同じような処分をより即決でする必要があり、先日その作業の一部をしたんだけど、

質素な暮らしをしてた義父母の家にも、日用電化製品の他に、必要以上の様々な衣服や、

バッグや、食器や、土産物の飾りや、の捨てることになる諸々の物があり、それらだって

彼らが買った時にはそれぞれの思いや痛い出費もあったはずなのだ。

わが国には一概に物が溢れてて、必要物資が足りない家はまずないばかりか、けっこう嗜

好的な余分な物も多いとこを見ると経済的に豊かなことが実感できるんだけど、世界には、

日常必需品ばかりか、その日の食料にさえ不足している人々が何億といて、そういった不

均等を改善しようと多くの人々や機関も努力してても追いつけてない現実があり、そうい

った不遇な状況での不満や怒りから当事国の政府や関係国への武力攻撃が起きる、といっ

たことがある。そういった武力勢力に、職もなく、貧しくて満足に食べることができない

若者たちが、ただそれを確保するためという理由だけで参加することもあるらしいから、

戦争拡大の火種の元に、そういった人々の貧困といったことが考えられるのだ。

先進国はそうした貧困国への経済支援だと言いながら、別の側面では原材料や低賃金労働

による農業や工業製品の恩恵に浴してる部分も多いわけで、ただ単にそういった先進国経

済を支える部分のみを強調する援助ではなく、その後進国の国民全体が例外なく最低必要

物資などが得られるような国内経済力なり構造変革を支援するべきで、それによって人々

の暮らしが安定することで、迂回的に、戦争をなくすことにつながるはずなのだ。

だからわれわれ豊かな国民も、自分の生活が豊かな理由をそういった不遇の国の国民によ

る犠牲の上にあることも意識しつつ、余計な物を買うために働きすぎたりしないで、人間

の幸福ってもんは何か、ってよく考え、戦争になったら国々の豊かさはどんどん消耗され、

食料さえ自国も他国も不足してしまうことになる、って危機感も持つ方がいいのだ。

他国でされてる戦争は自国に無関係ではなくて、われわれと同じ生活感情を持つ膨大な数

の人々が食料不足と命の危機にある、ってことは世界の異常事態だ、ってことなのだ。

食料が世界に行き渡り戦争のない世界にするためには、世界じゅうで起きてる一切の戦争

を止めるという、われわれも含めた人々の強い意志が必要なのだ。




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