思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー夫婦、ヴェネツィアの迷路を楽しみました。



ボンジョルノ・イタリア(9)ヴェネツィアその1






10月6日5時45分モーニングコールより早く起きて移動の支度を始める。キャリーバックを廊下に出

して朝食へ。あいかわらずみなさんすごい食欲だ。

バスはヴェネツィアへ向けて出発。車中Kさんが「昨日台風18号が関東に上陸。ローマ便は欠航したそ

うです。今日のヴェネツィアは少し空いているでしょう」と笑わせてから「これから1500mの山越え

をしてヴェネツィアへ向かいます。途中フィレンツェ市内が見渡せるミケランジェロ広場で写真タイム

とります。そのあとボローニァのドライブインで休憩します」などの説明があった。

高台にあるミケランジェロ広場で写真タイム10分。朝がはやいので土産物屋も支度中だ。フィレンツェ

市街を見下ろすおなじみの景色。きそって写真を写すが風が強く寒いのでみなさん早々にバスへ。

ホテルを出発して2時間。山頂付近では小雨がぱらついている。急な坂を下りるとまもなく歴史のありそ

うな集落をぬけてボローニャのドライブインに着いた。20分の休憩。広い駐車場の向こうに大きな建物

がたっている。まずはトイレと、案内板通りにいくとなにもない。建物の一階は廃墟になっている。

これはひどいところに来たと思ったらすべての施設は二階にある。上がって見るとそこはドライブインと

いうよりスーパーマーケットになっていて食料品、生活雑貨からみやげものまであるという大きな店舗だ

った。たしかボローニャといえば世界子供絵画展で有名なはずなのだが、とKさんに聞くとボローニャの

町はもっと遠くにあるということだった。


ヴェネツィアの船着き場リドに着いた。4時間のバスの旅であった。昔はここまで船で来なければならな

かったが今は鉄道、道路併設の橋が架かっている。船着き場のわきは大きな駅で列車もここが終点だ。

すぐ目の前にクルーズの大型客船が泊まっている。世界の観光地ヴェネツィアについたという実感がわい

てくる。二艘の水上タクシー(モーターボート)に分乗してホテルへ向かう。

水上タクシーは、走り出すとすぐに古都には似合わない近代的なデザインの橋をくぐって大運河へ。

カーブを曲がると前方に超有名なリアルト橋が見えてくる。橋をくぐってすぐに小運河に入り、なんども

曲がって20分ほどでホテルの船着き場に着いた。1790年創業の老舗ホテルは小ぶりだが落ち着いた風情

がある。部屋割りはあとでということで、昼食のためレストランへ歩いてむかった。すぐ近くですと言わ

れたが迷路のような道を進んだので、ホテルに対してどのあたりにあるのかわからない。一人では二度と

こられないところである。

食事がすむと現地ガイドのシルバーノ氏を紹介された。名前を思いだせないが昔スーパーマンをやった映

画俳優そっくりの陽気ないい男。「わたしの名前はシルバーノ。銀ちゃんと呼んでください」とべらんめ

え、の日本語を話す。その、銀ちゃんの案内でサンマルコ広場へ。背の高い男なので列がのびても見失わ

ない。サンマルコ広場につくと、「きのうは大潮で広場は水に浸かったんだよ。きのう来たらみんな溺れ

たね」と笑わせる。日本に住んだことのある銀ちゃんはたぶんに寅さんを意識している。

サンマルコ広場は観光客であふれている。サンマルコ寺院にはいる。ここはヴェネツィアの守護聖人を祀

る聖堂で、中はみごとなビザンチン様式の黄金装飾でみごとな壁画が描かれている。さすがは富と権力で

栄華をきわめただけのことはある。ビザンツ美術好きにとってはたまらないひとときだった。つぎに入っ

たドゥーカレ宮殿は、ヴェネツィアの歴代元首の公邸だったところ。中の装飾は豪華でいままで見てきた

どの宮殿よりも立派であった。きんきら金の大評議室で銀ちゃんが「歴代元首は評議員のなかから最年長

の人が選ばれた。なぜだかわかる」と言った。みなが黙っていると「はやく死ぬからすぐに順番がまわっ

てくる」と満場の笑いをとった。

ドゥーカレ宮殿の見学がおわるとガラス工房へつれていかれた。ここで簡単なガラス加工を見せられて、

あとはお金のある人がお買いもの。なにしろムラーノガラスの正規品だからみな高価だ。

ガラス工房を出ると本日のメインイヴェントであるゴンドラに乗る。ガラス工房の裏にある船着き場を出

発して運河めぐり。船頭はオバサンたちがキャーキャーいうほどのいい男。そのよさは男にはわからない。

水面すれすれから見るヴェネツィアの景色はまた違ってみえた。

すれちがうゴンドラも楽師を乗せたもの、アツアツのカップルだけのものと見ていてあきない。

30分のゴンドラ遊覧もおわりホテルの船着き場へ。ロビーで部屋割りをして立派な鍵と荷物をわたされ

た。そのとき「部屋の番号と階数はちがいますから気をつけて」といわれた。なるほどわれわれの部屋は

502だがエレベータは6階で降りる。そのあと階段を半階ぶんほど上がったところに502号室があっ

た。増築を重ねたためにこうなったのだろう。部屋は狭いけど斜めになった天井は垂木まる出しで中世の

気分いっぱい。窓からのながめは赤い屋根瓦ばかりでよいとはいえない。7時の夕食まで自由なので時計

塔に登るためにサンマルコ広場に向かう。銀ちゃんに連れられた道をたどったつもりだったが途中で迷い

倍の時間がかかった。時計塔は昼間見た時より空いている。作戦的中だ。ひとり8ユーロ払って乗ったエ

レベータは乗った時と下りるときの扉の位置が90度ちがう。これもあとからエレベータをつけたためだ

ろう。

夕日をうけて光輝く寺院の尖塔。その下に赤く波うつ赤瓦がひろがる。刻々とかわる夕日に映えるヴェネ

ツィアの景色だけは映像ではとてもあじわえないものだった。来てよかった。時計塔を降りたら6時半。

夕食の7時まではたっぷりと時間がある。みやげ物屋をひやかしながら歩いてもおつりがくる。Kさんに

教えられた道を帰ろうというと、お大師さまが来た道を帰ろうという。これがまちがいのもとだった。帰

り道の入り口はすぐにわかったがその先がいけない。迷いにまよった。もともと外敵の侵入を防ぐために

わざとわかりにくく作った道だからなおさらだ。いちど道端に立っていた若者に地図をみせて聞いた。若

者はいやな顔というか不機嫌な顔をした。なおしつこくたずねるとわれわれの後ろの建物を指さした。あ

った、ホテルがある。よろこびいさんで行ったら違うホテルだった。あわてて地図の違うホテルを指さし

たらしい。そうだろう、たずねたホテルの前で聞けばだれでもからかわれていると思う。時間はせまって

いる。また歩き回るが同じ所へもどってしまう。万事休すとこんどはみやげ物屋の店先にいた主人に聞く

と、ニコリともせずに前方を指さして「ライト、レフト、ライト、レフト」。そのとおりに行くと、あっ

というまにホテルの前にでた。レストランに駆け込むと同時に7時をつげる寺院の鐘がなった。みなさん

はお待ちかね。20分前にサンマルコ広場でわかれたメンバーに「どうしたんですか」とふしぎそうな顔

をされてしまった。あとで地図をしらべたら70m四方を20分間さ迷っていたことになる。食事が終わ

ったあとKさんに「心配かけました」と言いにいくと「お教えした道で帰ってきましたか」というので帰

ってきた道を説明すると「それは迷うはずだ。よく帰ってこられた」と笑われてしまった。

まだ、寝るにははやいので部屋でひと休みしてからリアルト橋の夜景を見に行くことにした。

教えられた道を行くと3分でサンンマルコ広場についた。「あら、近いのね」と迷いの張本人お大師さま

はすまして言う。広場をぬけて賑やかなみやげ物街をひやかしながらゆっくり歩く。途中バッグをみつけ

たお大師さまは「どうしようかな、買ってもつかわないし。でも、安いし…」とさんざん迷ったあげくあ

きらめた。ライトアップされたリアルト橋は昼間とちがった姿をみせている。のどがかわいたので運河沿

いの店でジェラートを買う。店のおにいさんに写真を写していいかと聞くとダメといわれてしまった。夜

空にうかぶリアルト橋とそのたもとに広がる屋外レストランのあかりをみていると、まちがいなくヴェネ

ツィアいるという気分になってきた。サンマルコ広場にもどるとライトアップされた建物の下にあるカフ

ェでタンゴの生演奏をしている。明日がはやくなければお茶でも飲んでいきたいところだ。

なごりおしいがホテルにもどった。明日は9時までに荷物をださなければならないので、必要なものだけ

をだして、明日の半日自由行動で迷わないことを祈ってビールで乾杯。


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