3/9のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争をなくす方法について 7)


科学技術がどんどん高度になり人々の暮らし方もどんどん洗練(?)されてくると、その

生活レベルを維持したり、もっとそれ以上のレベルを求めたり、って心情はだれにも起こ

りうる普通のことかもしれないんだけど、大体、ほっとくと人は自分の生活環境の中でだ

けそれを考えるもんだから、他人の都合より自分の都合だけの視点で物を見勝ちで、自分

の生活レベルがどういった他者の犠牲の上に成り立ってるもんなのかについてはあまり考

えたりしないようだ。更に、相当裕福な生活をしてる者も、もっとそれ以上のレベルの環

境を欲しがったり、それが達成できない弊害を他者のせいにしたりして不満を感じる者さ

えいそうなのだ。

だもんだから、どう見ても裕福とは言えないような貧者だったらなおさらの事、たいてい

は、その理由を大勢の他者のせいにして不満や反感を持っても当然のことだろう。

裕福で富を貯えた者はそれで自分自身の価値が上がったと感じ、好意的な見方をすれば、

その自分や仲間を裕福にしたシステムを世界に広めてやろう、って考えて他国に乗り込む。

もちろん、自分への見返りは十分に期待しつつだけど。そうやって、自分は世界を良くし

てるんだ、って信じ切ってるんだけど、その恩恵に浴せないままほって置かれたり、劣悪

な条件で下働きさせられてる者たちのことはそれほど眼中なかったりで。

かつて、自然豊かで人々は貧しくても仲よく穏やかで不自由のない生活をしてたのが、物

質至上主義的な考えや資本が入って来て、それに従属する者が出て来ると、だんだん、貧

富の格差も増大し、貧しい側はそういった自国の成功者は、魂を売った者のように見える

かもしれない。物質の豊かさを大事にし、そのために同胞を道具のように使い捨てたり、

見下すようになったりしたとしたら、精神的な崇高さをなくした、と。

そういった環境を変えたいと思った時に、民主的な選挙などを活用できればいいんだけど、

物質至上的な考え方に敵意を持った精神至上主義者は過激な手段に出るのかも。

それがテロ、ってことになると、それを治安法的根拠で警察的な処理に徹底すればいいも

のを、自分の方の問題点には全く気がつかないまま、それを起こす組織の悪の問題、って

ことにして、組織そのものをせん滅しようとするもんだから、組織の方もその相手国その

ものを、逆に悪と規定する。

一方の方からは自分が正義で相手が悪、逆の一方も自分が正義で相手が悪、こうなると、

戦いに力が入ってしまって収拾がつかないはずだ。戦いやってる当事者はもう普通の精神

状態じゃないからある意味どうしようもないわけだけど、戦争反対なのに巻き込まれてし

まってる一般市民こそ大不幸の大悲惨だ。

理性の均衡が保ててるはずの双方の指導者は是非ともどんな戦いであってもすぐやめさせ、

とりあえずは調停収拾に全精力を傾けるべきなのだ。




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