思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー夫婦、歩き回って、ホドコシして、ひと休みしてビール、と、いいリズム。



ボンジョルノ・イタリア(4)ローマその2




サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の前の広場をL字型に囲むように、カフェ、BAR、レス

トランがならんでいる。このBARはバルと発音して日本のバーとはちがいレストランのようなものだ。

どの店も大きな日よけをせりだし、その下に椅子テーブルがならんでいる。日よけといっても夜になる

としまうわけではなく、半恒久的なもので、日本ならさしずめ道路なんとか法で取り締まられるところ

だがヨーロッパは広場の概念がちがうようだ。日本の広場は、ただ、窮屈に管理されているだけで市民

のためにあるのではない。ヨーロッパの広場は市民が憩う場所なのだ。


目の前を通り過ぎる観光客を見ながら飲むビール、歩き回ったあとのビールはうまい。とても贅沢な気

分になる。しばらくすると店の前でレビューにでるような衣装をつけたジプシーの女が踊りだした。

バッテリー式のアンプからながれる音楽はベニーグッドマン。よくみるとかなりの年配である。その彼

女が70年前のスィングジャズにあわせて踊る姿をみているといたいたしくもあったが、このタイムス

リップしたような雰囲気にいざなってくれた彼女の芸にチップをはずんだのはいうまでもない。

一時間ほどゆったりとした気分に浸ったあと次の目的地にむかった。


次の予定は、教会の広場からパラティーノ橋まで街を歩き。そこにある壊れた橋という昔の橋脚を見て

テヴェレ川河岸を散歩しながら上流のガリバルデ橋へ。そこからトラムに乗ってパルテノンに行くとい

う小一時間のコースである。

地図によると広場から橋までほぼ一本道で、ぶらぶら歩いて15分くらいの距離だ。その道は片側にレ

ストランのパラソルが並ぶ絵や写真でみるローマそのものだった。ところがその道はすぐに行き止まり

になってしまった。道を間違えたらしい。広場までもどりもっと広い道に入った。そこはさきほどの道

より広く両側に古びた店が並ぶ。これならまちがいなしと店をひやかしながら歩いた。

どこの都市も大きな川があるところは中心街から川を渡るとがらりと変わった顔をみせる。ここもそう

だ。一昔まえのローマの街はこうであったろうという雰囲気をもっている。街並みの姿に酔っていい気

分で歩いていたが見当をつけていた時間をすぎてもまだ川に着かない。両側の建物も地図にある建物と

ちがっている。どうも迷ってしまったらしい。

まわりをみわたすと軍警察の姿がみえた。イタリアの警察は軍の警察。公安警察。それに日本の交番に

いるような普通の警察とあって各々の役割が異なるそうだ。軍であろうとなんであろうと道を聞いて悪

いことはなかろうと地図を片手に聞きにいった。お互いのたどたどしい英語を総合すると「これは日本

の地図であるからわからない。英語でも書いてあるがよくわからない」ということであった。しかし、

川を探していることはわかったようで「あっちへ行け」と指でさしてくれた。

軍の警察はかっこいい。われわれの禅問答もどきの姿をお大師さまが写真に撮ったら見つかってしまい

画像を消すようにいわれた。お大師さまはあわててしまい、どうやって消すのか迷っているとカメラを

手に取りなれた手つきで消してくれた。このときはしょっ引かれるかと思ってヒヤッとした。外国では

軍人や警察官の写真はやたらに撮らない方がいい。

お大師さまは昔トルコへ行ったとき要塞地帯で軍人が銃を持たせてくれたうえ記念写真を撮らせてくれ

た事があるので甘くみたようだ。軍警察が指差してくれた方角に歩き出すと街並みはさびしくなり、人

影のない住宅街に入ってしまった。さてどうしようと考えているところに品のいい老婦人が歩いてきた。

早速地図を見せながら川の場所を指差すと、急にわらいだし建物の間にある細い道をゆびさして「あそ

この道を行け。川はその先だ」わかりやすい英語で言った。よく見ると川らしいものが見える。どうや

ら川と平行に迷い歩いていたようだ。


着いたところは目的のパラティーノ橋のひとつ上流にあるチェスティオ橋で予定の3倍時間がかかった。

川岸の景色は美しい。ここからはパラティーノ橋、チェスティオ橋、ガリバルデ橋と三つの橋が見渡せ

る。人間と言うものはおかしなもので、予定したところに行きたくなる。パラティーノ橋まで行こうと

いうとお大師さまは歩き回って疲れたのでここで待っているという。しかたがないので一人でパラティ

ーノ橋に行った。橋の上から見る昔の橋脚は遺跡だらけのローマではわざわざ見に来るほどのものでは

ない。しかし、やっと目的の地に立ったという不思議な昂揚感がわいてきて自分の記念写真を撮りたく

なった。あいにく橋の上には人影がない。欄干にカメラをおいてセルフタイマーで写そうとしても、せ

っかく見に来た壊れた橋が写らない。さて、どうしようと思案しているところに日本人観光客の夫婦が

通りかかった。写真を写してくれというと快く写してくれた。

たっぷりと征服感をまんきつしてお大師さまのところにもどった。予定とはほど遠い結果になったが、

多くの人々と触れ合った楽しい迷路であった。

川沿いの道をぶらぶら歩いてガリバルデ橋のたもとからトラムに乗った。車内にある販売機でチケット

は簡単に買えたが、乗車記録の機械にどうやって入れるのかわからない。しばらくもたもたしていたら

近くにいた黒人が親切に教えてくれた。案内書では終点のはずがひと駅のびていてエマヌエーレ2世記

念堂までつれていかれた。ここから歩いて戻るには距離があるので乗ってきた電車に乗ってひと駅もど

った。


停留所のそばにある公園で一休みすることにした。座ったベンチのそばをホームレス風の男がうろうろ

している。べつになにをするわけでもないので、パンテオンの場所を地図で調べながらタバコを吸った。

このとき携帯灰皿を探すためにザックをかきまわしていてサブザックを置き忘れてしまった。パンテオ

ンに向かう道々忘れたことを悔いていると、お大師さまが「きっと神様があの人にほどこしなさいと言

ったのよ。いまごろ上等のバックを手にして喜んでいるわよ」というので、「ああ、そう思えばいいの

か」

とあきらめがついた。運のいいことに中身は予備のキャリーバックの鍵のみ。現金を入れておかなくて

よかった。もしお金を入れていたら多大な喜捨になって神のご加護があったのかも…

パンテオンはその大きさに圧倒された。ドームの高さと頂点から差し込む光が印象的で周りにある聖遺

物などは霞んでみえた。「パンテオンはどうだった」と聞かれたら「首が痛くなった」と答えよう。

パンテオンの近くにあるナボーナ広場のBARで昼食にしようと歩き出すが、パンテオンの位置をさか

さまに見てしまい反対方向へ歩いてしまった。八百屋が荷車から果物をばらまくのを見たりしながら迷

い歩く途中、土地の人に一回、警察官に二回、道を聞いた。警察官二人は親切だった。とくに二度目に

聞いた警察官の答えは、目の前の建物を指差しながら「After buil 」と、明快だった。

ようやく「After buil 」にあるナボーナ広場にたどりついた。BARは昼時なのでどこもいっぱい。ようや

く探した席でビールとホットドックのようなパンをたのむ。ビールを飲みながら広場を行き交う人々を

のんびりとながめていると、いま異国にいる、という実感がわいてきた。


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