3/23のしゅちょう 文は田島薫
(戦争をなくす方法について 9)
チュニジアの博物館を訪れた団体観光旅行客が「イスラム国」=IS、の関係グループと見
られるアラブゲリラに発泡され、日本人3人を含む21人が殺された。
これに対し、安倍首相はじめ日本政府スポークスマンは、哀悼の意を示すのはいいとして、
相変わらず余計なコメントを付け加えた。
それは何か、って言うと、「こんな卑劣な行為に強く憤って、断固非難し、今後もテロと
の闘いに取り組む」っていった定型的反応コメントだ。
これは今政府がやってる政策の流れから行けばなんら問題のない当然の常識的なコメント
だろうし、だれもが共感するんだろうけど、ちょっと、ここで、それが本当のことかどう
かわれわれ国民は検証した方がいいのだ。
これまでも指摘してたことなんだけど、そういったテロ行為がなぜ起るのか、ってことを
考えた時、現に、やり方に問題があるにしてもアラブ人を「解放する」ような新しい理想
のアラブ国家を作ろうとしている組織に対し、空爆をくり返し、その何千もの人々を殺し
てるのは結局、米国を始めとした自由圏諸国とそれを支持する日本なのだ。
われわれが日々のニュースで見聞きしてる時、今回のテロのようなニュースに比べ、日々
それの何倍何十倍もの悲惨な殺りくはほとんど報道されちゃいない、といった不平等に対
しその空爆されてる側がそれを訴える気持ちになって不思議はないのだ。
われわれ空爆を許す側の人々は自分に危険が及ばないことに安心し、そういった戦争は自
分と無関係とばかりに呑気に観光旅行したりしてる人々を、日々身近に死を経験してる人
々が見て、彼らが自分たちの悲惨な状況を作ってるのだと感じたらどうだろう。
同じ呑気な国民の代表が、テロは卑劣で憤る、って言ってるのを聞いた当のアラブ過激組
織は、それに対し、いい気なもんだ、ふざけるにもほどがある、って感じるはずだ。
断固とした非戦から、徐々に、自衛のための武力行使もできる法整備を始めた日本政府が
あくまで平和主義の後方支援だ、いくら強調してても、「アラブ国」に対してさえ、そう
いった余計な敵視コメントをしたら、害があっても益があるはずないのだ。
現に先日のふたりの日本人の命だって、救えたはずのものを見放したり状況を余計悪くし
たのは安倍首相のそういった怒りを装った安易な敵意コメントだったのだ。
世界からわが国に求められてるのは、または期待されなかったとしても、志として追求努
力すべきテーマは完全非暴力の、どちらの側にもつかない立場での、和平外交交渉のリー
ダーシップのはずなのだけど、現状の安倍政府は結局逆へ逆へと行ってるのだ。
今は、われわれ国民ひとりひとりが世界平和のために自分は何ができるか考える時であっ
て、それは選挙の時、考え抜いたただの一票であっても有効なはずだし、テロにただ憤っ
てる時じゃないのは確かなのだ。
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