3/16のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争をなくす方法について 8)


沖縄知事選で普天間基地の辺野古移転反対の翁長知事が誕生したのに、それの訴えも無視

したまま政府は辺野古埋め立て工事を強行しようとしている。住民の大多数が反対してる

ことがはっきりしたにもかかわらず、辞任が決った前知事の了承を頼りにして、民意より

も法的不備がなければ問題ない、とばかりコメントする政府スポークスマン。

日本は立憲国家なのだから憲法を遵守し、派生した法律に基づいて政策を行うのは当然の

ことなんだけど、その憲法や法律はだれのためにあるのか?って言えば、国民のためなの

であって、政治家が好き勝手に政治を行うための言い訳、ってはずはないのだ。

原則が現状と合致しない場合は、臨機応変に政策を中止したりリセットして、もちろん法

律に沿ってだけどやり直し議決などをするべきなのだ。

それなのに、今の自民党政府は法律そのものでさえ、自分たちの自由が確保されるように

勝手に変えようとしてるように見える。

いくら首相が国民の命を守るためだ、って言っても、国民の民意といったもんを無視して

やってれば、単純なパワーゲーム思考のわなにはまる危険性が大なのだ。

日本をとりまく外敵から日本を守るためにはこれだけの軍備が必要だ、最悪の時のために

米軍の核の後ろ楯も必要だ、ってどんどん、「自衛のため」だけのはずだった政策が、自

国自体が攻撃されなくても同盟国がされた時に反撃できる集団的自衛権や、自国にとって

も危険があると判断したら、米国以外の国の戦争にも後方支援できるように、って風に、

どんどんエスカレートして来てる。

一見、自分から攻撃するわけではない、相手からのそれがあった場合だけだ、とか、国民

が敵国に拉致された場合に武力で救出できるために、とか、言って、戦争をしたいわけで

はない、積極的平和主義だ、っていくら言ってても、その発想の基本に、攻撃を仕掛けて

来たり戦争を起こす悪い国に対しての自衛のためだ、って考えがあるから、いつまでたっ

ても相手国を理解する努力の前に、敵意が前提になってしまいがちなのだ。

そんな心構えでどんどん勝手に法律変えたり、民意を無視してたら、戦争の可能性はどん

どん増すのだ。

政治家が民意を無視しだす、ってことは、民主主義の死、と同じことなのだから、今の政

府の危険性を国民はよくわかっていた方がいいんだけれど、口のうまい自民党政府はにこ

やかに、大丈夫ですよ、って言うのかもしれない。

とにかく、国民の民意を反映させない政治家たちは早急に辞めさせるのがいいのだ。




戻る