思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、控え目だけど、若者たちのためへの苦言。





読書の秋


本が読まれなくなって久しいが、この言葉だけが残っている。

古本業界も往時の盛況がわすれられないのか、この時期になるとあちこちで古本市

がひらかれる。

先日このうちのひとつに行ってきた。会場は初日だというのにひとかげもまばらで

さびしいかぎりであった。ひと昔まえは初日ともなれば本にむらがる人をかきわけ

て目的の本をさがしたものだ。

いまはちがう。大半の客は年寄り、しかもパラパラと。その中に女子高生の姿が目

についた。彼女らは古い雑誌をひらくと「ねえ、ここに戦争の写真がでているよ」

と友達をよび、きょうみ深そうに見入っている。学校の授業の一環かもしれないが

若者が戦争にきょうみをもつのはいいことだ。そうかと思うと大学生らしいカップ

ルの女のほうが文学書をさがしながらその話題を男にふると「おれって、本にきょ

うみねえからな〜」とスマホに夢中になっていた。

神田にある老舗の喫茶店のママがテレビのインタビューに答えている。

「むかしは学生でいっぱいだったそうですね」と問われると「いまだって混んでい

るわよ。ただしみんなお墓にむかってだまっているから静かだけどね」アナウンサ

ーはこの「お墓」の意味がわからずだまっていたが、ママのしぐさをみて「ああ、

スマホですか…」。

祈るように黙々とスマホに向かう学生の姿をみて、「お墓」と言い切ったママはさ

すが神田っ子。しかし、時代はかわったのである。


この日に買った安藤鶴夫の「雨の日」という随筆集を読んでいると含蓄のある言葉

にであった。

戦後メートル法が施行されたとき、歳のかぞえかたも数え年から満年齢になった。

そのなかで頑固に昔ながらの数え年をつかっている文楽の大御所豊竹山城少掾にそ

の理由をきいたところ、『せっかく、ちゃんととしをとってきたのに、ここへきて、

なにもへらすことはない』だった。

この言葉を読んでピンとくるものがあった。

狂信的な首相の下ではたらく自衛官諸官のことである。新安保法によれば直接国民

の生死にかかわりのないことでも日米軍事同盟堅持という理由だけで死地にむかわ

なければならない。その自衛官諸官に伝えたい言葉は『せっかく、ちゃんととしを

とってきたのに、ここへきて、なにもへらすことはない』だ。

このようにふかい意味をもつ言葉にであえるのも、秋の読書のおかげ。


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