1/13のしゅちょう 文は田島薫
(表現の自由の行き過ぎについて 2)
フランスの漫画新聞でイスラム教予言者ムハンマドを侮辱したと判断したイスラム過激派
分子の青年の兄弟が出版社で銃乱射し、編集会議中の発行者や漫画作家など10数人を殺し
た後、郊外の会社に立てこもった末警察に射殺された。それに対しパリで数十万人の他、
フランス各地で総計2〜300万人の表現の自由を謳う抗議デモがあった。
たとえだれかAがだれかBのことをからかったから、って言って、B、またはBを敬愛する
者がAを殺していい、という道理はわれわれの日常市民生活のルールではないわけで、そ
んなことをする者は犯罪者として断罪されるんだけど、そのルールがどの世界にも共通す
るかどうかは怪しいところがあるのだ。
私もよく知ってるわけではないんだけど、イスラム教ではムハンマドの神聖視は絶対で、
安易にそれを描いたり批評したりすることはタブーのようだ。以前にもそれをした作家
が暗殺された事件があったし、実行にまでいたらないまでも、そういったことに激怒する
信者は多いに違いない。
イスラム教に限らず、キリスト教だって、ジョン・レノンがビートルズは今やキリストよ
り有名だ、って言ったことで怒ったクリスチャンたちからの大騒動に発展したし。
独裁国家でその独裁者の批判したら死刑になる、なんてことはわが国の歴史ん中でだって、
以前は普通のことだったはずなのだし、今だって、例えば、表立って天皇をからかうよう
な表現がだれにでも普通にできるかどうかは怪しいもんだし、もちろん、天皇をからかう
必要はないかもしれないけど。
とは言うものの民主主義の世界を広げて行こうとしているわれわれとしては、そういった
タブーを排し、どんな過激表現であっても、言論によるものなら、言論によって反論なり
して行くべきだと思うことは思う。
フランスでのデモについての人々の主張の原則はもっともなことなんだけど、そればかり
で、これが正義とばかりに一方的に大勢で盛り上がっちゃうのに、少し懸念を感じる。
だって、イスラム教信者だって民主主義を信じてる層は増えてるはずだし、漫画のからか
いのようなようなことに笑いで受け取る者もいるかもしれない一方、あまり愉快に思わな
い層や、いつまでも出口のない貧しく悲惨な生活環境の原因が非イスラムの国の人々にあ
ると感じてる若者にとって、そのからかいは命をかけて復讐すべきものと思うことも想像
できるわけで、過激派だって、根っこにはそれが今彼自身には失われているかもしれない、
暖かい家族生活のようなものを多分望んでたはずなのだ。
漫画新聞のことはよく知らないんだけど、からかいをするなら、タブーについては最大限
の尊重とフォローに努力し、イスラム国だけでなく、自国もどこの国も自分自身もすべて
分け隔てなくフラットにからかいの材料にして行くのがいいだろう。
目的を、イスラム教だろうが仏教だろうがキリスト教だろうが、その構造矛盾に向け、一
番不幸な目に遭ってる人々から順に救うことだ、って原則を忘れないことだ。
新聞社テロ後逃げ込んだ郊外の会社の社長はあらかじめ社員を地下に隠した後、ふたりに
コーヒーをすすめたそうで、ふたりは社長に安全を保証し、外に出て射殺されるまでの間、
社長のことを、おじさん、って親し気に呼んでたんだって。
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