思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、すぐおとなりで楽しいコンサート味わったようです。



伊東さま、ゆかりさま




政治から目をそむけると今年の正月はいい正月だった。

きのうのサッカーアジア杯パレスチナ戦は4−0の快勝であった。日本人特有の判官ひい

きからいうと、パレスチナの国情を思うとどこか手放しではよろこべない。現在のパレス

チナの国情は日本の敗戦直後、いやそれ以上に大変な状態である。そのなかから予選を勝

ち抜いてきた選手の気持ちを考えると大勝したからといってなにかしこりが残る。しかし、

勝負の世界である。勝ったことはやはりめでたい。

そのサッカー中継と同じ時間に始まったのがとなりの大学でおこなわれた「伊東ゆかりコ

ンサート」。となりの大学はふしぎな大学である。校風はおかたい大学なのだがときどき

やわらかいことをやる。


老生伊東ゆかりのファンである。ファンといっても大ファンとか熱狂的ファンというのと

はちがう。コンサートに行くでもなし、LPCDをやまほど買うというファンでもない。

じわじわと、「伊東ゆかりはいいね〜」という神経痛のようなファンなのだ。

中尾ミエ、園まり、と組んだ三人娘のころはともかく、カンツォーネを歌いだしてからな

おごひいきになった。歌唱力もともかく声の質がじつにいい。その声の質をいかした「小

指の想い出」、「恋のしずく」のような定番はもとよりあまり歌わないが「アドロ」がと

くにいい。伊東さま、ゆかりさまなのである。

どのような風のふきまわしかわからないが、その伊東ゆかりのコンサートがとなりの大学

のホールで開かれると知った。いがいな組み合わせに躊躇したが前田憲男トリオといっし

ょだとわかったので、これは逃す手はないと即チケットを買ったことはいうまでもない。

大学のホールはいわゆるホールの作りではなく講堂のようなもので昔の大きなキャバレー

くらいの広さでこのようなコンサートにはぴったり。前半は前田憲男が「きょうは大学か

らJAZZについて講義をしてくれとたのまれた。ほんとうは講義はすきじゃないんだが

…」という前置きで、軽妙な語りとともにJAZZの音楽的形態の変化を演奏をまじえな

がら講義?をした。

アメリカの奴隷解放で失業した黒人がてっとりばやく金をかせぐことができたのがミュー

ジシャン。しかし、楽譜のよめない彼らにできたことは思い思いに創り出すリズムとメロ

ディー。それが整理されてディキシーランドジャズとなりやがてスタンダードジャズに発

展するという実演をまじえた講義はとてもわかりやすいものだった。

休憩をはさんでゆかりさまの登場。ヒット曲「小指の想い出」を歌いだすと会場のジイサ

ン、バアサンはメロメロ。前田憲男との軽妙なやりとりのなかに自分の来し方を語る。

「売れなくてくさっていたときに「小指の想い出」が大ヒット。つづいて「恋のしずく」

もヒットした。この二曲のおかげでいまだにこうして呼んでいただける」と、聴衆を大爆

笑させ会場の雰囲気を手中におさめてしまったあたりはさすがベテラン。語りのなかに進

駐軍という言葉が自然にでてくる。同世代ではないが同時代を生きたものとしてしばし

60年昔のことを思い出した。

もち歌を2,3曲歌ったのち、尊敬しているという江利チエミのテネシーワルツを歌う。

「チエミさんにならって日本語で歌います」というと会場はしんみり。みんな当時を知っ

ている人達だ。江利チエミは日本語をまじえてジャズを歌った。最後に加藤登紀子の

「百万本のバラ」を歌うと会場はシーンとしてしまった。よく見ると涙をぬぐっている人

がいる。

ほんものの芸の力のすごさを見た瞬間である。

会場をあとにしながら老妻が「わたしも涙がでてきちゃった。今日来た男性の目はみんな

トローンとしていたわね」と言ったが、老生も例外ではなかった。


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