●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、当たり前のような感覚を十全に味わったようです。
触る
外から帰ると、近所のでっぷり太ったおっさん猫がウチの門柱の上でクタっと寝そべっ
ていた。湿り気のあるコンクリートが涼しいのだろう。オヤオヤと思って私が見つめる
と、おっさん猫も頭を少し持ち上げ少し警戒感を見せて目を見開き、じろっと見る。
(せっかく気持ちのいい場所を陣取ったのに、敵だか味方だかわからない胡散臭い奴が
通りよるわ。ま、すぐどくことはないわな。まず様子を見とこ)
と横着に考えているに違いない。
そう考えることのできるのはオドオドとすぐ逃げる子猫と違って、人生経験(?)をた
っぷり積んだ貫禄というものだ。
飼ってないけど猫好きの私は、猫が庭を横切ったり日向ぼっこをしたりしていると嬉し
い。まして我が家の門番を引き受けてくれるなんて感謝感激である。
それで家へ入るとすぐ、いそいそとしらす干しと削り節をまぜた貢物を持って再び猫に
近づいた。
おっさん猫は鼻を近づけるとすぐ食べ始めた。どうやら気に入ってくれたらしい。私は
すかさずそっと背中を撫でる。猫はちょっとピクッとしたがそのまま触らせてくれた。
温かく柔らかくそして弾力があった。
触るということは見ていて可愛い、とか美しいとかとは異なる感慨が湧くものだ。
毛並みの感触、骨格の感触、体温の感触など一緒くたになって、一層この猫の魅力に触
れた思いだ。
できたら抱いて頬ずりをしたい。きっと生き物を手中にしたという満足感があるに違い
ない。
前に嗅覚も侮れないと書いたけれど、触角はもっと人間の切実な感覚である。