●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、軽口批判に反批判したようです。
夏女
いよいよ夏が来た。
私は夏女である。雪女があるのだから夏女があってもいいだろう。
夏女はいたって明るく楽天的である。
寒い時の抑圧的な思考がまるでタガがはずれたように、開放的になってすべてが肯定的
になる。
上田敏訳の「春の朝」の一節のように 神、空に知ろしめす/すべて世は事もなし の
気分である。
それは、きっと先天的には夏の射るような強い日差しや明るい光が、私の体と相性がい
いのだろう。
後天的には例えば子供時代の夏休みやら海水浴やらお祭りやら花火などのような行事を
通して、夏の楽しさが刷り込まれ条件反射のように夏に期待するものがあるからかもし
れない。
春から夏に変わろうとするある日のこと、人からいきなり「個性的で面白いひとだと思
ったけど、案外平凡でつまらないひとなんだね」といわれた。その言葉は耳で聞いたと
いうことよりも胸の中に切り込んできたように飛び込んできた。
それはずっと胸の中で揺れていた。梅雨に入って、あるときは雨音を聞きながら、そし
てどんよりと厚い雲に覆われた日はなおのこと・・・
なぜその言葉がそれほど私のなかで揺れているのかというと、昔、“個性的で面白いひ
と”にあこがれていたから。
個性的、その言葉はなんと魅力的だろう。絵を描くこと、文を書くこと、に興味を持つ
者として、個性がなく、面白くないのは致命的である。
歩きながら、夕食を作りながら悶々と考えていた。
そして梅雨の晴れ間、強い夏の日差しを受けるようになると、揺れていたそれは私の胸
の中でだんだん様子を変えていった。
“個性的で面白いひと”って、花火のように目を引くけどきっと飽きがくるよ、
それに、もろいかもしれない。一歩間違うと傍若無人になるかもしれない。
“平凡でつまらないひと”は地道で常識的だが、きっと底力をもっているはずだ。個性
的が面白い、平凡がつまらない、なんて決めつけるのは嘴の青いやつがいうことさ、と
うそぶくようになった。
つまり、ここが夏女の本領発揮なのである
だから私は個性的だの平凡だのとごちゃごちゃいわずに夏女を名乗っているのが一番ふ
さわしいのである。