6/30のしゅちょう             文は田島薫

(世界常識の扱い方について


自民党の安倍首相が妙に張り切ってて、もっとゆっくり審議しよう、って言ってる野党や

公明党の意見を振り切り、なんとしても集団的自衛権行使容認を会期内に決めたい、って

息巻いてるんだけど、その情熱の理由はなんなんだろう、って考えてみると、中国や北朝

鮮に攻め込まれるんじゃないか、って妄想に囚われてるせいと思われる。

こういう妄想は、戦争反対の積極的平和主義などと謳いつつも、結局、戦争はいつでも起

こりうる、っていった、よく言えば現実を直視し、それに対する備え、っていった堅実な

責任ある指導者の立場、って見方もあり集団的自衛権賛成者たちはこの考えなんだろう。

ところが、堅実な考え方、ってふうに見えそうなのは、その危機管理に対しての部分だけ

であって、それが今の個別的自衛権は、例えば警察官が全く武器を持たない状態であるか

のような表現をして一般国民へその不足をアピールしてるんだけど、それは嘘であって、

そんなことはほとんどありえないんだけど、仮に、中国や北朝鮮に、日本本土が攻め込ま

れたとしたら、いくらでも自衛隊が反撃できるわけだし、又は人の住んでないどっかの島

が占領されたら、排除に迎えばいいだけのことだろうし、極端な話、そんな無人島を欲し

がってるんならくれてやったって大した不利益はないだろうに。

それにくらべ、現実的だと考えられてるらしい非現実的な敵からの攻撃への心配が過熱す

るとどんな大惨事になるかは、先のイラク戦争で体験済みのはずだろう。

常に自国が正しくて、相手国は間違った悪の国、って図式に沿ってだけ行動してると、い

くら平和主義だって主張したって、自衛のための攻撃、って発想が出てくることは必然で

あり、そうなれば、相手からだって切りのない攻撃やテロが止むことはないわけで、その

意味では戦争はいつでも起こりうる、って見方は現実的であり、まさに、その現実的見方

こそが戦争をつくり出す元凶なのであって、平和のためにはとにかくどんな理由であれ、

武力攻撃をしかけてはだめなのだ。

そういった意味で、平和実現に一番力を発揮できる可能性を持ったものが非戦を謳う現日

本国憲法なのであって、他国攻撃可能な集団的自衛権はきっぱり否定しているのだ。

集団的自衛権に賛成の知識人の多くの意見は、集団的自衛権は特別なものではなくて、先

進国のどこもが認めているいわば世界常識なのだ、ってことが根拠のようなんだけど、常

識ってものは周囲に迷惑をかける乱暴などをいさめる時使う最低限のルールに過ぎないの

であって、時代や環境によって改善されうるものなのだ。現日本国憲法はその世界常識さ

え超える世界平和の実現を可能にする力を持ったものなのだ。

平和のために非戦を宣言し、他国に対しては武力による働きかけは一切せず、常に積極的

平和外交による各国相互理解、友好実現に努力し、その説得力を支える大きな力が集団的

自衛権などと言った時代過渡的な国防迷妄を排した現日本国憲法なのだから。

今後は是非とも国民の力で安倍さんの思い違いによる法律を廃棄させる必要があるのだ。




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