6/2のしゅちょう             文は田島薫

(だれかのためにやる力について


先週末は古河の歴史的建造物の石蔵を改造したホールでイラストレーションの展示会と

ライブイベントがあった。それを企画したのは地元で活動してるバンドのギタリストで

もある私の友人をふくめたメンバーたちで、メンバー全員がイラストレーターでもある

ようで自分たちの作品も出してるんだけど、一番の主題はメンバーのひとりの兄貴の作

品を発表させてやろう、ってことだったようだ。

その兄貴は本業の工務店のかたわら数十年にわたってクオリティの高い玄人はだしのイ

ラストレーションを描きためてたそうだった。

金を出し合って石蔵を借り、打ち合わせや、石の壁に苦心惨憺してみんなで夜遅くまで

展示飾り付け、チラシも打ち合わせしたりデザインしたりイラストレーション描いたり

して印刷してから、手分けして地元店なんかを回って置いてもらったり、ネットなんか

で宣伝したりして当日を迎えた。

私と家人が行った時はそろそろ日暮が近づくまでの来訪者はぽつりぽつりだったけど、

来訪者の数はけっきょくどうでもいいことなのかもしれないのだ。だって、何百人来よ

うが、それで彼が世界に知れ渡る、ってことはないだろうし、仲間の間にそういったこ

とがあった、や〜、客が来なくてさ〜、って話ができること、そういったイベントを一

生懸命みんなでやった、ってことが人生の大事な思い出になるはずなのだから。

私なんかは、いつも自分のことしか考えないもんで、だれかのためになにかする、って

ことやってるのを見てるだけで感動しちゃうのだ(じゃ自分でやれよ)けど、世の中、

ほっといても人のために自然に体が動いちゃう、ってタイプの人々がいて、そういう人

は多分、一種の才能があるんだとしても、そういう人々をお手本にしてみんなが人のた

めになんかしてやろう、って少しづつでもがんばったとしたら、世の中どんどんよくな

って行くんだろう。

最近の若者はだめだ、なんて、われわれのような「老人」がよく言ったりするんだけど、

例えば、阪神淡路大震災の時や先日の東日本大震災の時でも、自分の生活さえやっとの

ようなくせに、後先考えずにすぐに現地にボランティアで出かけた若者がいっぱいいた

のだ。行ってもただじゃまになっただけだったとしてもその気持ちだけで、だれでもそ

の若者を認めてしまうだろう。そういうの見て、今の若者はだめだ、なんてだれが言え

るんだろう、って。




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