5/6のしゅちょう             文は田島薫

(集団的自衛権について 2


集団的自衛権を必要と考えている右傾の政治家や評論家たちに共通する意識には、中国

や北朝鮮に対する尋常じゃない敵視があるんだけど、これが一番危険の元なのだ。

とにかく自分たちこそがいつも正しくて相手がいつも悪事を考えてる存在だ、ってよう

な決めつけをしちゃ反論に耳を貸さない自己中な顔つきをながめると、この人はどんな

子供時代を過ごしたんだろう、ってちょっと同情したくなるほどで。

もちろん、そんな単純に考えてるわけじゃなくて、自分たちにも非があったかもしれな

いけど、それについては反省し詫びも入れたし数々の賠償なり経済援助なりで精いっぱ

いの努力と奉仕を続けたはずなのに、それにもかかわらず、というかこちらの弱腰が逆

に災いし、「相手」が理不尽な要求をどんどん加速して図に乗って来るもんで、それに

よって現実の日本の国防状況も危険度も増して来てるから、ここは少し強面で行くんだ、

ってようなことらしいんだけど。

いきなり人んち上がり込んでって、そこんちのもの自由に使ったり好き放題して、文句

言うそこんちの子供をなぐりつけたり死なせたり親を追い出したりして迷惑かけた後、

だれか力のある人にいさめられて、出てってわびたんだけど、そこの家族がいつまでも

許してくれないもんで逆切れし、自分はそこんちのために上がり込んだとこもあるんで

そんなに悪いことしたおぼえはない、って開き直ってる、ってような論理。

だいたい、戦争が起きるのは、どちらかか双方のなんらかの敵視が高まった時なわけで、

敵視が起きるのは、前述のように、相手の都合より自分の都合で物事を判断してしまう

人間ならだれでも陥り勝ちな弱点によるわけで、自分がこんなに正しいのに、なんで相

手はそんな理不尽なんだ、って思った瞬間、同時に相手もこちらに対し全く同じことを

感じているもんなのだ。

世界各地で内紛やテロが続いているのは、たがいにたがいの正義がぶつかってるわけで、

どちらも相手への敵視を捨ててないせいなのだ。

米国だって、アルカイダやタリバンを問答無用で敵視し、その幹部を無人攻撃機で暗殺

し続けてる行為は戦争回避の根本的治療のはずはなくて、対症療法としても逆効果の可

能性の方が強い。だって、それじゃ、あくまでもパワーゲームの域を出ないわけで、お

互いの敵視を解決するといった根本治療とはほど遠いのだから。

言ってみれば、力があるものだけが正当、といった戦争の根本原因を保持した米国に、

短絡的な同士宣言をするような集団的自衛権を実現するのが、世界と日本にとって本当

にいいことかどうかわれわれは考えた方がいいのだ。米国におしつけられた憲法だから、

われわれが自国のプライドで作り直すんだ、って主張する右傾の人々のプライドの重さ

はどれほどのもんなんだろう。場合によっちゃ「正義の米国」と心中してもいい、って

とこなんだろうか。ところが、米国も実はひとつじゃなくて、日本の平和憲法をつくっ

た米国は、戦争のない世界の理想を、本当に実現したい、とも考えたはずなのだ。




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