●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクション多少フィクションストーリのパート9。


シリーズ アメリカ帰りの松子さん

神様のお蔭


松子さんは洗礼を受けたわけではないが自分はクリスチャンだと思っている。一応ミッ

ション系の学校を出ているので、キリストの存在は身近であった。またアメリカで生活

していると、宗教は? とよく聞かれ、無宗教と答えるとあまり信頼されないので、そ

んなときはキリスト教のプロテスタント系ですと答えることにしていた。アメリカは寛

容な国でどんな宗教でもいいのだが、持たないよりは持っていた方が安心して付き合っ

て貰えるのである。

また、長年、身内と離れた孤独な生活の中では、困った時は神様の与えた試練、うまく

いったときは神様のお蔭と思うことは、物事を切り抜ける際の知恵となった。何か大い

なる力が自分を見守っていてくれる、という暗示は安心につながる。

日本に来てからは、松子さんはその大いなるものはキリストでもご先祖様でも運命でも

よくなっていたが、ますますその思いに頼るようになっていた。

さていよいよ、松子さんと梅子さんは物件を紹介してくれた花枝さんと最寄りの駅であ

る勝鬨駅で待ち合わせた。

花枝さんは小柄だが、エネルギッシュで全身に仕事をもつ女性の自信がみなぎっている

ようだ。不動産屋の事務員を同行させてテキパキと駅に近い物件へと案内してくれた。

勝鬨駅の辺りはタワーマンションが並び、いかにも歴史のない都会的で緑の少ない風景

であり、近代的なビルのロビーにランドセルを背負った子供がちょろちょろしている光

景は不思議な感じがする。きっと新しい若い住民が多いのだろう。

目的の部屋は7畳ぐらいのスペースですべての設備がコンパクトにまとめられていて、

住みやすそう。しかし、松子さんは14階には住まないと決めているので、興味を示さ

ない。

花枝さんは素早く松子さんの顔色を見て取って、不動産屋に断り、さっさと切り揚げて、

これから3人でさらに近くのUR住宅の事務所へ行こうと誘ってくれた。

UR住宅とは昔の住宅公団で、借りるためのハードルが低いという。まず、1年分の家

賃を前払いするか、ある程度の預金額のある通帳を見せれば、年齢制限もなく保証人も

なく借りられるのだという。

UR事務所では文京区に今すぐ入居できるワンルームの物件が一つあった。花枝さんは

たまたまその場所を知っており、学校や六義園が近くにあり、駅もスーパーも近く素晴

らしい環境であることを熱っぽく語った。

隣に座った梅子さんが「断ってもいいんですよ。家に帰ってパソコンでUR住宅を検索

してたくさんの候補からゆっくり選びましょうよ」と耳元で囁いた。

気丈でしゃんとしている松子さんだが、一皮むけば82歳のお婆さんである。面倒なこ

とは早く済ませたいのだ。花枝さんの「私が住みたいと思ったくらい良い所ですよ」の

一言で松子さんはそこにしようと即決してしまった。

とりあえず下見をしなければということで正式契約には至らなかったが、部屋の予約を

済ませると、松子さんは頭に上に覆いかぶさっていた暗雲が消えたように心が軽くなり、

帰りのエレーベーターの中で思わず、

『神様のお蔭だわ』とつぶやいていた。


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